がんの末期になって入院され、数ヶ月間化学療法を行った女性のお話です。
紹介医から「良くて1ヶ月ほどの命でしょう」と言われていたご家族にすれば、化学療法のお陰もあってか何度かの外泊もできたので、それなりの得心と、私には感謝をしてくださいました。ただ、最期を迎える少し前のこと、家族がいない時に訪れた私に彼女が発した言葉が表題の「逝かせて下さい」でした。
ベッドの上で動けなくなっている彼女の顔を覗き込む私に、内緒話をするかのように呟いたのでした。私は、即座に「それだけとても辛いということだとお察し致しますが、ご家族が悲しまれますよ」と答えていました。すでに全てを告知し、彼女の痛みや苦しみは必ず取り除くと約束したにもかかわらず、私は家族の希望ということを口実に、彼女の最後の切なる希望を叶えることを拒否したのでした。
もちろん、日本では所謂(積極的)安楽死は禁止されており、仮に実行されれば殺人罪に問われることになるのですけど。
それから後の回診では、声を出す力も無くなったためか、彼女はただただ恨めしそうな眼で私の方を見ることに、いや睨み付けることになったのでした。
今になってみると、もう私に話しかける気持ちを失っていたのではなかったかと、思えて仕方ないのです。
呼びかけに頷き返す彼女を見て喜ぶご家族とは裏腹に、彼女の眼はそうではないと訴えているようで、それからの回診は私にとって辛く苦しいものになりました。
彼女が亡くなる数日前のこと、回診で部屋に入ると、「先生が来られたよ」と枕元に座っていた娘さんがわざわざ席を立ってくれました。私は否応なく彼女の枕元に近づくことになり、彼女の視線と私の視線が合うことになりました。その視線は、あの言葉を発した時以上に冷たく鋭いものであり、「何故、逝かせてくれないの」と訴えかけているようで、私はすぐに目をそらしてしまいました。
彼女が逝った時、「予想以上に頑張ってくれた」とご家族からお礼の言葉を頂戴しはしましたが、彼女は、本当はあんなに頑張りたくはなかったのではないかという想いが沸いてくるばかりで、返す言葉が無いままにただ頭を下げるしかありませんでした。
入院後の少し元気になった頃、娘さんが持ってこられたカラオケ大会で着たというステージ衣装を照れくさそうに私に見せてくれたことがありました。
そんな彼女が声も出せなくなり、ベッドの上でやせ衰えていくのを、例え家族であっても見られたくなかったのではないかという想いがしてきたのです。とすれば、私は最後の最後に、彼女のプライドを傷つけてしまったのではなかったか・・・。
緩和医療という名の下に、彼女が彼女の寿命を全うすることをお手伝いすると言いながら、実は彼女の苦しみを長引かせていたのではなかったか。私は、私たち医者は、こんな時これで良いのか、これで良かったのかと、今でも彼女のあの恨めしそうな視線が私の脳裏に焼き付いて離れずにいます。
こんなことを考える私は、疲れを溜め込んでいるのだろうと思いはしますが、いずれ私もあちらへ逝くわけです。その時には、例え恨み言を言われようとも、「あの時」の視線の意味を尋ね、その時の私の気持ちも伝えられたらいいなと思っています。
果たして、彼女は私を赦してくれるでしょうか…。
最近は、外国の医療状況と比較して、日本では「無駄な」あるいは「本人の意思を無視した」延命治療が行われていると言われ始めています。また、そうした時勢に呼応するように、尊厳死だとか” living will (生前の意思表明)”といったことが、改めて声高に叫び始めています。
外国の医療状況との違いには、宗教的死生観の違いがベースに有るとはいうものの、何より医療経済的な違いが大きいと思われます。国民皆保険制度で安い医療費で済むことに慣らされた日本人に、その議論が通用するのか大いに疑問であります。
今、日本で起こっている死に関する諸問題は、詰まる所、以前にも書かせて頂いた「人は死なないもの」との甘えた考え方から端を発しているように思えてなりません。私の中には、死と向かい合う生活を過ごしてきた経験から、いくつかの意見や提案が有りはしますが、現時点での一般的社会常識や見識者と言われる方々から倫理違反と言われるような過激なものもあり、口にすることは控えさせて頂きます。しかし、そろそろ日本人全てが、「死」を自分のものとして考える時が来ているように思えてなりません。
ただただ「少子高齢化で大変だ」と言うだけではなく、世界の中での今後の日本をどうするのかということも含めて、真剣に考えなければならない時が来ていると感じています。
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