私は、医師になって13年目、在宅医としては1年目の医師です。
消化器内科医として急性期病院で救急医療と消化器癌などの治療を行ってきました。患者さんが癌末期になった場合、病院で最期を迎えられるケースがほとんどです。中には自宅での生活を希望され、在宅医に依頼をした方もいますが、それは一握りです。本当は自宅での生活を求めていたけれども、叶えることができなかった患者さんもいらっしゃったと思います。
昨年、私は緩和ケア病棟で研修を行った後、地域の病院で、在宅医療を中心に仕事を始めました。その中で私自身はもちろん、ご家族もきっとご本人も非常に満足できたであろう在宅での看取りを、経験できました。その患者さんの報告から、在宅での看取りが可能になるために、現状の問題点を考えたいと思います。経過を日記風にまとめました。少し長くなりますがご了承願います。
紹介するのは、80歳代の男性で、病名は胃癌、肝転移、リンパ節転移。最初の診断から死亡まで(亡くなったのは12月31日)の経過は約6か月でした。同居家族は妻のみ。既婚で子供がいる娘二人(長女は近居、次女は市外在住、車で2時間)は同居していません。
5月、かかりつけであったA病院で、進行胃癌、肝転移、リンパ節転移と診断されました。切除不能進行胃癌だったため、緩和ケア病棟のあるB病院に紹介されました。B病院の消化器内科、緩和ケア科外来を受診、TS-1という内服薬の抗がん剤治療を行いましたが、倦怠感が増強し、途中で治療は中止となりました。退院後、9月になり、痛みのためにB病院の緩和ケア科を緊急受診し入院しました。入院中に緩和ケア科主治医より在宅医も併診していく提案がなされました。
9月22日に退院前カンファレンスを行い、在宅側からは当院クリニック医師、看護師、訪問看護師、薬剤師、ケアマネジャー、福祉用具担当者が出席、ご本人は不参加でしたが、妻、次女が参加し、9月25日から当院での訪問診療を開始しました。退院時、予後は1-2か月との説明を受けていました。
訪問診療開始後の自覚症状は、食欲低下のみ。初回訪問時に食欲低下に対する補液の相談を家族から受けましたが、過剰な水分は症状の悪化につながると説明し、点滴はしない方針で同意されました。癌末期ゆえに、毎週訪問を行い、求められた時にも臨時に訪問を行いました。特に目立った症状の悪化はありませんが、体力の低下は徐々に明らかになってきました。それでも、医療従事者が自宅に来てくれていることに家族がとても安心感を得られていると、報告を頂きました。
10月9日事件が起こりました。ご本人が自家用車で家を出て長時間帰って来ず、家族が慌てて警察に相談しようとしたところ、なんとバス会社の車庫で発見されたようです。ご本人は、車内におられましたが混乱していて、バス会社から連絡を受けたご家族は、在宅医(私)に連絡を下さったので自宅に訪問しました。訪問すると、混乱や見当識障害があり、せん妄(意識が低下し寝ぼけている状態)状態でした。その日からクエチアピン(抗精神病薬)を眠前に内服、この処方で症状は落ち着きました。
それ以後は、妻と共に娘二人は、生活の中心が父親の介護になっていったと思います。特に次女は熱心で在宅医の評価・判断を常に聞きたがっていたため、訪問診療を行った際は、妻に説明を行い、その夜に電話で次女に状態を報告するようにしました。
10月半ばになると、一人では外出はできない状態になりました。変わらず食欲低下はあるも、家族は本人の希望をより叶えてあげたいと思うようになり、1-2回/週、何人かで介助しながら、日生のかきおこ、倉敷の焼肉屋、すし屋などに外出しました。実際に口にするのは数口でしたが、道の駅での買い物も楽しいようで、その楽しさを当院スタッフにとても嬉しそうに語ってくれました。
しかしこの頃になると、毎週会う度にやせ方が激しくなって、11月半ばになると睡眠リズムが崩れ始め、夜間眠れない状態になってきました。
12月にはいり、自宅でのトイレ移動が困難となり、ポータブルトイレを部屋の端に置くことになりました。再度家族に看取りの経過について説明しました。12月中旬になり、下痢が続くため、整腸剤の内服を行いましたが、改善乏しく、12月21日には、腹痛があり往診、腹部エコーで腹水もないため腸蠕動によるものと判断し、経過観察としました。12月22日になり、日中、夜間を問わず、せん妄が出現する状態となり、倦怠感や下肢のだるさなど訴えたため、クエチアピン、リスパダール(抗精神薬)などを使用しながら対応、看護師から下肢マッサージを促しました。
12月25日、ご家族から本人が眠れていない事を苦痛に感じていると報告があり、セニラン座薬を使用、これは効果的で、使用すると良眠が得られました。12月26日に訪問したところ、意識レベルが不安定、血圧は90/60、12月28日 訪問、血圧50台、さらに意識レベルが低下し、死期が近いと説明、毎日訪問看護が入ることにしました。12月29日、『本人が「先生、先生」と呼ぶので来てほしい』とご家族から連絡があり、往診したところ、手を合わせて「ありがとう」と声をかけてくださいました。この日は、血圧測定できませんでした。12月30日、ご家族からの電話で「意識はもう無いので訪問看護師の訪問は、本日はいいです、家族で過ごします」と。12月31日、ご家族から呼吸停止の報告があり。在宅医、クリニック看護師で看取りをしました。10時49分 永眠。
死亡確認後、15分ほど、ご家族と今までの経過を振り返りました。部屋には、一緒に撮った写真や、趣味の物、孫や親族からの応援メッセージ、「本人が気持ちよく過ごせるための○箇条」などのポスターが貼られていました。
12月28日は、ご家族に亡くなる時期は時間単位かもしれないと説明した日で、部屋の日めくりカレンダーのその日には「生きる」の言葉があり、あたかも父親を励ましている様で、不思議に思ったそうです。
31日にご本人が亡くなったのち、カレンダーが30日のままだったことに家族が気付き、日めくりカレンダーをめくると、そこには、全く偶然のことながら、「感謝」「すべての人にありがとう」と言葉があり、医師、看護師、ご家族ともに、とても驚き感動しました。
現在本邦での死亡場所(2015年)は病院が74.6%、自宅が12.7%、老人ホーム6.3%、老人保健施設2.3%です。しかし「最期を迎えたい場所はどこか?」のアンケートでは、54.6%が自宅と希望しています。とはいうものの、60%以上の国民が最後まで自宅で療養をすることは困難と考えています。さらにその理由も挙げられているので箇条書きにします。
1、往診医がいない
2、訪問看護・介護体制が整っていない
3、24時間相談に乗ってくれるところが無い
4、介護してくれる家族がいない
5、介護してくれる家族に負担がかかる
6、症状が急変した時の対応に不安がある
7、症状急変時すぐに入院できるか不安である
8、居住環境が整っていない
9、経済的に負担が大きい
在宅看取りを行う上での問題は4,5の介護者関連、6,7の症状関連だと思います。「症状が急変した時の対応に不安」については、亡くなる過程で、この事例でも頻回に発生しているように、患者を苦しめるいろいろの症状が起こります。在宅医が緩和医療のレベルアップを行い、予測される症状をしっかりと説明し、その対応を指示、指導すればある程度は解決すると思います。ただおよそ10-30%程度は予測外の最期を迎えることがある事も説明が必要です。
7の「すぐに入院できるか不安」については地域連携で顔の見える、腹の見える関係を築き、緩和ケア病棟、紹介元の病院医師との連携が必要になりますが対応は可能です。となると、やはり医療で対応することが難しいのは、介護者の問題だと思います。老老介護、認認介護が今後さらに増えていくため、介護のバックアップが必要になります。
癌末期の場合は、亡くなる2-3か月間前まではある程度問題なく日常生活を送ることが出来ますが、亡くなる1-2か月前になると急激に日常生活能力が低下し、ベッド上の生活が増えることが知られています。その時点で訪問診療、訪問看護、ケアマネジャーが介入するわけですが、訪問介護は入っていないことが多いと思います。その為、主たる介護者が疲弊してしまい、最期の最期になって介護を放棄し、ご本人が希望しているにもかかわらず、在宅医療が終わってしまうリスクがあります。私も毎回介護者が疲弊しないか心配になるものの、実際行っていることと言えば、ねぎらいの言葉と夜間の症状緩和、電話をすることのハードルを下げる事くらいです。今回の事例のような、愛情に包まれ、患者さんに対して、全面的な支援を行うことが出来る家族が多いわけではありません。介護負担軽減のために今後介護事業者と連携し、家族の疲労を和らげるために、何をすればよいか、検討しなければいけないと思います。
現在経験を積みながら よりよい在宅医療を提供するために勉強中ではありますが、今後も色々ご教授頂きながら成長していきたいと思います。
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