東日本大震災から6年、あの時テレビの前で立ちすくんだシーンを思い出す。私が見たのは引き波だったのだろうか。どす黒い濁流が海へ向かって、ありとあらゆるもの巻き込んでゆく。大きな建物だけを残して。それらの建物の中には病院もあった。
いまから思えば、その当時私が責任を負っていた山陰の公立病院も同様の危険にさらされていた。こちらは天災ではなく人災。地方の病院に医師を派遣することを歴史的責任としていた大学医局が逆に地方から医師たちを引きあげていくのだ。内科医師はかつての半分。残されて多忙を極める内科医師は紹介医との間でトラブルを惹き起こしていた。
紹介医との摩擦を減らし、内科医の負担を軽減するために何ができるのか。私たちの病院の入院患者の6割は高齢者、その8割は後期高齢者で、この人たちの終末期への対応が問題となっているのである。高齢者の死因の多くは、がん、心不全、肺炎であり、当院でも高齢者の肺炎入院が多い。肺炎がひとまず治まれば、多くの人に胃ろうが造設されていた。
そのような医療に追われる中で、果たしてそれでよいのかという批判も現場から生まれていた。看護師 岡川裕美子さんの詩集「灯り消すとき」(幻冬舎)の中の一編、「あなたの言葉を」は、胃ろうにつながれた老人の深い悲しみを表したものだが、言葉を失った認知症の人の苦しみに気づこうとしない私たちに強い反省を迫るものであった。
その時、思い出されたのが、口腔ケアで肺炎を減らせるという米山先生の報告(Lancet 354,1999)である。そこで2010年春より、次の二つを実行に移した。
① 歯科を設置し、歯科医師、歯科衛生士による口腔ケアを充実させ、訪問診療を通じて肺炎の再発を予防すること。
② 終末期の高齢者を受け入れる病床として「地域支援緩和病床」を設定し、ここに入る患者には、緩和、栄養、口腔ケア、リハビリ、感染、褥瘡、呼吸など、すべての多職種医療チームが関わること。
地域支援病床は高齢者の緩和病床であり、患者の主治医は内科医の負担を減らすため、外科医である私が担当した。長らく管理職を務めていた私には不安があったが、医療チーム、病棟スタッフの協力を得て、どうにか病棟運営は軌道に乗り、終末期の高齢者を14~5名を担当する日々を過ごしていた。
平穏な日々は続かない。2011年3月、恐れていたことが起こった。大学による循環器内科の医師らの引き上げが行われたのである。大震災津波による地域を根こそぎさらう引き波のシーンは私にとっては足元の医療崩壊のイメージそのものであった。東北災害救援のスタッフを送り出した後、私は考え込んだ。この先、地域医療に希望はあるのかと。
その頃私たちは同じ問題に悩む地域の医師たちと語らいを重ねていた。学会と大学が主導する専門医制度の中では腰を据えて地域に取り組む医師は育てられないのではないかと。そのような共通認識に基づいて、私たちは大学を離れた地域で地域医療を学ぶ場を創ろうとしていた。Community based medicine (CBM)研究会である。講演と多職種のグループワークからなるこの企画はすでに回を重ねて、地域医療に関心を抱く人たちの出会いの場となっていった。会を運営するのは、私たちの「地域医療推進機構」である。
幸いなことに、このCBM研究会に集う若手医師が私たちの地域支援緩和病床を中心とする活動に関心を寄せてくれた。そこであらためて総合診療科を設置し、地域支援緩和病床の運営をお願いすることになり、新設の歯科とあわせて両科を地域医療総合支援センタ-の管轄とした。
こうして地域支援緩和病床と歯科訪問診療による高齢者の肺炎対策が進み、それまで年間100例程度造設されていたPEGは2012年には30件程度まで低下、歯科の訪問診療も円滑に行われ、その成果が2012年から14年の2年間での高齢者の再入院率の減少と在宅療養期間の延長となって示されたのである。
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