うんこと免疫ーテニスコートとお花畑

私たちの体の中には外界が存在します。「えっ、どういうこと?」、と思われるかもしれません。少し考えてみて頂ければお分かりかと思います。我々の口や鼻から続く食道、胃、小腸、大腸、肛門は実は管腔臓器でその内腔は体の中に有っても外界とつながっているのです。体の中に有りながら、実は外の世界と常に接しているのがお分かりだと思います。丁度皮膚が我々を包む世界と接しているのと同じく、これらの消化管は外の世界と常に接触しています。私たちの体は外の世界を常に取り込んでいるのです。


小腸は長さでは約6-7mと言われます。小腸はその上皮を絨毛という襞で覆われているために、その表面積は何とテニスコート約1面分と言われています。
大腸は約1.5mです。これも襞におおわれているためにその表面積はテニスコート約半面分あると言われています。私たちの体の中にはテニスコートが存在していたのです。口や鼻から入った空気や細菌、ウイルス、あるいはPM2.5などは全てこの管の中に取り入れられ、テニスコートにばらまかれているのです。
前回お話ししたように、私たちの体の中には個人個人に特有の腸内フローラという細菌の集まりが有りますが、この細菌は生後口や鼻から入ってきて住み着いているのです。

想像してみてください、なんという不思議でしょうか。私たちは細菌に住処を提供しているのです。

 

 

 

 

共生

私たちと腸管の細菌は共生していると言えます。では共生とはどういうことでしょうか。皆さんは「ニモ」というクマノミが主人公のディズニー映画をご覧になったことがお有りでしょうか。クマノミとイソギンチャクは共生していると言われています。クマノミはイソギンチャクにより外敵から守られているのです。クマノミがイソギンチャクに何を提供しているかは、あまりはっきりしていないそうです。
一方でお互いに提供する利益がはっきり分かっているものもあります。皆さんはアブラムシをご存知ですか?私は岡山に住んでいますが、岡山でアブラムシというとゴキブリの別名です。ここでいうアブラムシはゴキブリではなく、アリマキという虫です。そうです、時々花の葉っぱについている緑色の小さい虫です。


このアブラムシと、その細胞内で生息するブフネラという細菌は、非常に強い相利共生の関係にあると言われています。アブラムシが主食としている植物の師管液には、必須アミノ酸はほとんど含まれていません。アブラムシの細胞内のブフネラは生きていくために必要なアミノ酸を合成し、アブラムシの細胞内に供給しているため、アブラムシは師管液のみで必要な栄養を得ることができます。アブラムシはブフネラ無しでは生命を維持することができないのです。
一方、ブフネラは自らの生命を維持するための遺伝子の多くを失っており、アブラムシの細胞内でしか分裂・増殖することができないのです。つまり、アブラムシとブフネラはお互いを必要としており、相手無しでは生きていけないのです。(Shigenobu, S. et al. Nature 407, 81-86 (2000)。

腸で作られる幸せホルモン

それでは私たちの体の中にある細菌フローラはどのような働きがあるのでしょうか?これも全てが解明された訳ではありません。少しずつ分かってきている細菌フローラの機能をご紹介します。

セロトニンという名前を聞いたことがお有りでしょうか?セロトニンはしばしば「幸せホルモン」と呼ばれています。セロトニンは怒りや恐怖などの状態で分泌されるノルアドレナリンの働きを抑制することで気分を安定させる働きがあるからです。またセロトニンは体の中で「メラトニン」という眠りを誘う睡眠ホルモンに変化します。そのためセロトニンが不足すると安眠がしにくくなり、睡眠不足に陥りやすくなったり、その結果として生活サイクルが崩れやすくなったりします。また、気分の安定に欠かせない物質ですので不足する事で気分が滅入りやすくなったりイライラしたりします。
この幸せホルモンと言われるセロトニンは、腸内細菌の力無くしては作ることができないのです。腸などの消化器官に90%、血液中の血小板に8%、脳内に2%程度が分布しており、最も多くのセロトニンが分布している腸は、セロトニンそのものが生成される場所であります。セロトニンはトリプトファンから生合成されます。このトリプトファンを食べ物から取り出す際や、トリプトファンを原料としてセロトニンを合成するためにはビタミンCやビタミンB6が補酵素として必須です。このビタミン類は腸内細菌によって食物から取り出されるのです。つまり私たちの腸内に存在する細菌無しには私たちは「幸せホルモン」のセロトニンを合成できないのです。腸内細菌の変化でお腹の具合が悪い場合にはセロトニンが作られないこともあるかもしれません。腸内フローラを変化させることが、脳内のセロトニンが関わるとされるうつ病をはじめとした精神疾患や、セロトニンから生合成される睡眠ホルモン「メラトニン」が不足することで起こる「不眠症」などの睡眠障害にもつながるということになるとも言われています。「食べること」はこういった意味でも「幸せ」につながるのかもしれません。


腸内細菌にはまだまだ知られていない様々な働きがあると考えられます。今後の研究の発展が待たれますね。

うんこの移植

みなさんは糞便移植という言葉を聞いたことがありますか。手っ取り早く言えば、人のうんこを私たちの大腸に注入するということです。


ヒトの体に住み着いている微生物は、絶妙なバランスを保って共生関係を保っていることが知られています。中でも、腸内細菌はヒトの体の細胞と同じだけの細胞数があり、遺伝子の数はヒトの数十倍におよぶ種類を有し、腸内細菌全体で1つの臓器と言ってもおおげさではないほどの存在感を示しています。ひとたびこの中のバランスが崩れると、炎症性腸疾患を含めた様々な病気を発症することが近年の研究で明らかになってきました。


便移植というのは、このようなバランスの乱れが起きたことによって病気を発症した患者さんの腸内環境を、健康な人の便をもらって整備し直すことによって回復させようという治療法です。クロストリジウム・ディフィシルという菌が異常に増えて下痢や血便などを生じる病気に対して、今までの治療法を大きく上回る効果を発揮したことが知られたことから注目されています。

2013年1月、米国の有名な医学誌『ザ・ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』に、ある論文が掲載されました。オランダ・アムステルダム大学のニードロップ医師が、健康な人の糞便を腸内に移植する「糞便移植」で、「クロストリジウム・ディフィシル感染症」という抗生物質の効かない腸炎の症状を大きく改善させたというのです。

 

「クロストリジウム・ディフィシル感染症」は、まだ日本では症例はそれほど多くはありませんが、欧米を中心に患者が増えており、特に米国では年間50万人が発症し、5万人が亡くなっています。下痢・腹痛・発熱などの症状が現れ、悪化すると敗血症などの合併症を引き起こし死に至ります。アメリカではこの治療費になんと5000億円もかかっているのです。

この病気を引き起こすクロストリジウム・ディフィシルという腸内細菌は、普段はそんな悪さをしない日和見菌ですが、感染病治療のために抗生物質を使いすぎて、善玉菌も悪玉菌も含めて腸内細菌が減ってしまうと、のさばってきて、毒素を出して下痢を引き起こすのです。
当然、この病気に対する新規抗菌薬も開発されたが、そもそも抗生物質の使い過ぎのために起きた病気ですから、抗生物質による治療は難しいとされてきました。

 

こうした患者さんをなんとかして治したいと考えたニードロップ医師が実施したのが、糞便移植でした。抗生物質によって“焼野原”のようになっている腸内環境を、健康な人の便に含まれている正常な腸内細菌を外部から注入して、元通りのお花畑にしようというものです。テニスコートいっぱいに広がった雑草をきれいな花を植えることにより元どおりにしようということですね。

 

その結果は驚くべき効果でした。論文によると、再発性クロストリジウム・ディフィシルを発症した患者に対する臨床試験で、抗生物質による治療効果が13人中4人だったのに対し、糞便移植の場合は、16人中15人が短期間で症状が大きく改善したのです。現在ではクロストリジウムディフィシル感染症だけでなく炎症性腸疾患や様々な疾患において研究がなされているところです。

うんこの中の宝物

コアラというとポテッとした体と愛らしい目で大変かわいい印象があります。コアラはご存知のようにユーカリの葉を主食としています。ユーカリの葉は繊維が多く消化がとても悪く栄養価も低い上に、青酸という毒素が含まれているのです。なぜコアラはこの毒を含んだ葉を食べても大丈夫なのかというと、それは、コアラの体内に青酸を無毒化する酵素があるからなのです。この働きの無い他の動物はユーカリの葉を食べると、この毒にあたってしまいます。だから他の動物はユーカリの葉が傍に有っても食べないため争いにならず、コアラは悠々とお食事をすることができるのです。


では、コアラはどのような方法でユーカリの葉を無毒化しているのでしょうか?コアラの盲腸は大変長く2mほどもあるといわれており、咀嚼されたユーカリの葉はその中に存在する細菌と酵素により繊維が消化され無毒化されるのです。腸内細菌のおかげでコアラはユーカリを食べることができ、過酷な環境でも生存することができたのです。

このコアラの赤ちゃんには面白い習性があります。コアラは有袋類ですから、袋の中でお母さんからお乳をもらって育ちます。では、離乳食はなんだと思いますか?


それはお母さんのうんこなのです。


生まれたばかりのコアラの赤ちゃんの盲腸にはユーカリを無毒化する腸内細菌は存在しません。ユーカリを食べて生存するためには腸内細菌が必要なのですが、どのようにして獲得しているのでしょうか?そうなのです。離乳食として食べているお母さんのうんこのなかの細菌が、赤ちゃんコアラの腸内細菌として根付くことによりだんだんユーカリの葉を食べることができるようになる訳です。お母さんは生きるための宝物をうんこの中に潜ませて子供にプレゼントしているのです。

 腸とうんこ、そしてその中の細菌は私たちの健康に色々と役立っているのがお分かりと思います。

 

次回はいよいよ「うんこと免疫」のお話です。

岡山大学大学院ヘルスシステム統合科学研究科教授松岡 順治
岡山大学大学院医学研究科卒業 米国留学を経て消化器外科、乳腺内分泌外科を専攻。2009年岡山大学大学院医歯薬学総合研究科、緩和医療学講座教授、第17回日本緩和医療学会学術大会長。現在岡山大学病院緩和支持医療科診療科長、岡山大学大学院保健学研究科教授 緩和医療、高齢者医療、介護、がん治療の分野で研究、臨床、教育を行っている。緩和医療を岡山県に広める野の花プロジェクトを主宰している。
岡山大学大学院医学研究科卒業 米国留学を経て消化器外科、乳腺内分泌外科を専攻。2009年岡山大学大学院医歯薬学総合研究科、緩和医療学講座教授、第17回日本緩和医療学会学術大会長。現在岡山大学病院緩和支持医療科診療科長、岡山大学大学院保健学研究科教授 緩和医療、高齢者医療、介護、がん治療の分野で研究、臨床、教育を行っている。緩和医療を岡山県に広める野の花プロジェクトを主宰している。
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