

思っていること、感じていることを、言葉にして伝えることは大人にとっても難しいことである。それがやるせない思い、言い知れぬ恐怖等であればなおさらだ。しかし、感情を言葉にすることには、大きなメリットがある。まず、感情を言葉に置きかえて表現することで、自分自身が今どのような気持ちでいるのか、自分の感情への気づきが促され(遠藤, 2002)、感情の感知を高めるのに役に立つ。さらに、感情を言葉にすることで、ストレスや怒りの調整もなされていく。言語として表現する力は、怒りの感情の抑制を促し(⽇⽐野ら, 2013)、また、感情を筆記・語りによって表現することによっても、身体的・心理的健康の改善につながる(Berry & Pennebaker)。つまり、感情を言葉にすることは、情動の認識、自己理解、自己制御、社会的スキルの向上など多方面に効果を持つということである。
しかし、家庭の経済状況がよくない世帯の子どもは、自身の気持ちや感情をうまく言葉として表現しない(できない)様子がみられることが、支援者から指摘される。実際、経済的に豊かでない世帯の子どもは、言葉の発達においてさまざまな不利を抱えやすいことが多くの研究で指摘されている。母親からの言葉のインプットが子どもの語彙増加を強く後押しすると考えられており、子どもが早いうちに語彙を獲得できるかどうかの決定因となるが(浜名・針生, 2015)、豊かでない世帯においては、家庭内で交わされる言語的な刺激が乏しいことが多いのだ。
今井むつみの論に基づけば、語彙基盤の弱い子どもにとって、より抽象的な語を理解するのはさらにハードルの高いことである。子どもは成長と共に、目に見える具体的な事物だけでなく、触れたり見たりすることのできない実体のないことに関わる言葉も学習し、使用するようになる。ここには感情も含まれよう。しかし、豊かでない世帯の子どもは、語彙の少なさも手伝って、感情のような抽象的なものを言葉で表現するに至るまで、大変なプロセスを経なければならない。実際、社会経済的地位の低い(低SES)世帯の子どもには、感情を表す語や、心の状態を表す語の使用が少ないことが多くの研究で示されている。こうした感情語、心的状態語というのは、自ら使うことを通して徐々に感情状態への気づきが深まっていくものであり(遠藤, 2002)、子どもたちは負の連鎖の中にあると考えられる。心的状態語の獲得は、自身の理解だけでなく、他者の意図理解とも関連しており(Bartsch & Wellman, 1995)、交友関係を広げたり、社会の一員としてコミュニケーションをとったりするにあたっても大切な基礎となる。ただ経済的に豊かでないということが、こうした後々の人間関係構築や社会性の面での不利にもつながり得るのである。
このような不利益が子どもに起こり得ることについて、背景を改めてみていきたい。低SES世帯では、保護者の長時間労働や心理的ストレスにより、子どもとの会話量が減りやすい。母親の発話量、使う語彙の種類、文法の複雑さは、幼児の語彙量と強く関連するといわれている(浜名・針生, 2015)。経済的困難は、家庭内における言語刺激の質量を減少させ、子どもの語彙発達に直接的な影響を及ぼす。低SES世帯では、親自身がストレスを抱え、子どもの感情に丁寧に言語を添える発話(emotion talk)が減少しがちであることが諸研究から示されている。感情語のインプットが少ない環境で育つことにより、子どもが感情語を使うようになる時期も遅れることになる(浜名・針生, 2015)。また、経済的困難に伴う心理的不安定(母親の抑うつなど)は、幼児の感情理解を阻害することが指摘されている(Raikes & Thompson, 2006)。
このように、低SES世帯の子どもは、言語刺激や感情語入力の不足、家庭の心理的不安定などにより、語彙発達・感情理解・心の理論の発達の面で不利を抱えやすい。しかし、感情を言葉で表現する力は、自己理解(酒井, 2000)、情動調整(日比野ら, 2013)、ストレス対処(Berry & Pennebaker)、他者理解(Bartsch & Wellman, 1995)、社会的スキル(藤本ら, 2019)など、非認知能力を根本から支える要素でもある。したがって、低SES世帯の子どもに対する支援として、感情語・心的状態語の獲得を促す言語的環境を整えることは極めて重要である。
低 SES 世帯の子どもの心的状態語、感情語に注目し、その理解(受容語彙)と使用(産出語彙)を保育士の評価に基づいて調査を行った。日本語を母語とする低 SES の子どもに特化した研究が乏しい現状から、国内初の系統的なデータ収集を目指した。この調査には年少〜年長の子どもを担当する保育士160名が回答し、うち
- 標準的学齢群:45名
- 低 SES 群:115名
が90語の心的状態語・感情語について、
- 「知らない」
- 「知っている(受容語彙)」
- 「知っており・使っている(産出語彙)」
の3選択肢から、子どもの言語使用を評価した。
低 SES 世帯の子どもの言葉の特徴として見いだされた結果は以下のとおりである。
① 未獲得の語が多い
「迷惑」「思い出す」「忘れる」「夢を見る」「満足する」「知っている」
といった、他者の感情を推察したり、経験を振り返ったりする際に使われる言葉、そして自身の内面理解に必要な語が、一般的な同年齢の子どもに比べて学習されていなかった。
② 受容語彙としては理解できても、自分では使わない語が多い
「嬉しい」「幸せ」「大切」「好き」「難しい」
といった肯定的な気持ちや、価値を示す語をあまり使用していないことが示された。
③ 受容語彙(知っている言葉)としても産出語彙(使える言葉)としても乏しい語がある
「残念」「飽きる」
といった、感情をより精緻に表す語の習得と使用に遅れがみられた。
④ 産出語彙(使える言葉)として極端に少ない語
「かわいそう」「心配」「安心」「悩む」「きっと〜」「不思議に思う」「気持ち悪い」
といった、より高度な精神機能を前提とする語の使用が少なかった。
⑤ 使用が多い語
これらの特徴に加え、低SES世帯の子どもの使用割合が、同年齢の子どもに比べて高い語も見出された。それは、「うざい」という語であり、さまざまな不快感が、この単一の否定的語彙に集約されている可能性が示された。
⑥ 使われない表現(~よ、~ね、~よう)
「おいしいね」「もう帰ろうよ」「出かけよう」といった、会話の相手がいる際に用いられる修辞の仕様が少なく、日頃の生活において、他者と関わりコミュニケーションをとっていく経験の不足が背景にあることが示唆された。
以上のように、この調査結果から浮かび上がる低SES世帯の子どもの言葉の課題は、感情の細かな違いを表す語、他者への配慮を表す語、経験を振り返る語、推論や仮説を表す語、などの獲得が困難という点である。これらは心の理論や感情理解、そして内省に関わる語であり、非認知能力の発達に強く影響すると考えられる。
本稿では、低 SES 世帯の子どもの言語発達が、環境要因や心理的要因により不利になりやすいこと、そして感情を言葉にする力が非認知能力を支える重要な基盤であることを示した。調査結果からは、まさにその理論的指摘を裏づけるように、低 SES世帯の子どもほど、心的状態語・感情語の理解や使用が遅れる、という具体的なデータが示された。とりわけ、肯定的感情語・内省に関わる語・心の推論に関わる語の習得の遅れは、将来的な自己制御、対人理解、社会的スキルに影響を及ぼす可能性が高く、言葉を通じた支援の重要性が改めて裏付けられたといえる。







飯田 都の記事を見る
山脇 佑介の記事を見る
奥 侑樹の記事を見る
黒乃 流星の記事を見る
宮田 宗知の記事を見る
事務局通信の記事を見る
岩下 康子の記事を見る
二村 昌子の記事を見る
Opinionsエッセイの記事を見る
東沖 和季の記事を見る
下田 伸一の記事を見る
宇梶 正の記事を見る
大谷 航介の記事を見る
東 大史の記事を見る
池松 俊哉の記事を見る
研究助成 成果報告の記事を見る
小林 天音の記事を見る
秋谷 進の記事を見る
坂本 誠の記事を見る
Auroraの記事を見る
竹村 仁量の記事を見る
長谷井 嬢の記事を見る
Karki Shyam Kumar (カルキ シャム クマル)の記事を見る
小林 智子の記事を見る
Opinions編集部の記事を見る
渡口 将生の記事を見る
ゆきの記事を見る
馬場 拓郎の記事を見る
ジョワキンの記事を見る
Andi Holik Ramdani(アンディ ホリック ラムダニ)の記事を見る
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る