言えない気持ち、届かない言葉:貧困が子どもの言語発達に及ぼす影響【橋本財団2022年度研究助成 成果報告】

思っていること、感じていることを、言葉にして伝えることは大人にとっても難しいことである。それがやるせない思い、言い知れぬ恐怖等であればなおさらだ。しかし、感情を言葉にすることには、大きなメリットがある。まず、感情を言葉に置きかえて表現することで、自分自身が今どのような気持ちでいるのか、自分の感情への気づきが促され(遠藤, 2002)、感情の感知を高めるのに役に立つ。さらに、感情を言葉にすることで、ストレスや怒りの調整もなされていく。言語として表現する力は、怒りの感情の抑制を促し(⽇⽐野ら, 2013)、また、感情を筆記・語りによって表現することによっても、身体的・心理的健康の改善につながる(Berry & Pennebaker)。つまり、感情を言葉にすることは、情動の認識、自己理解、自己制御、社会的スキルの向上など多方面に効果を持つということである。

しかし、家庭の経済状況がよくない世帯の子どもは、自身の気持ちや感情をうまく言葉として表現しない(できない)様子がみられることが、支援者から指摘される。実際、経済的に豊かでない世帯の子どもは、言葉の発達においてさまざまな不利を抱えやすいことが多くの研究で指摘されている。母親からの言葉のインプットが子どもの語彙増加を強く後押しすると考えられており、子どもが早いうちに語彙を獲得できるかどうかの決定因となるが(浜名・針生, 2015)、豊かでない世帯においては、家庭内で交わされる言語的な刺激が乏しいことが多いのだ。

今井むつみの論に基づけば、語彙基盤の弱い子どもにとって、より抽象的な語を理解するのはさらにハードルの高いことである。子どもは成長と共に、目に見える具体的な事物だけでなく、触れたり見たりすることのできない実体のないことに関わる言葉も学習し、使用するようになる。ここには感情も含まれよう。しかし、豊かでない世帯の子どもは、語彙の少なさも手伝って、感情のような抽象的なものを言葉で表現するに至るまで、大変なプロセスを経なければならない。実際、社会経済的地位の低い(低SES)世帯の子どもには、感情を表す語や、心の状態を表す語の使用が少ないことが多くの研究で示されている。こうした感情語、心的状態語というのは、自ら使うことを通して徐々に感情状態への気づきが深まっていくものであり(遠藤, 2002)、子どもたちは負の連鎖の中にあると考えられる。心的状態語の獲得は、自身の理解だけでなく、他者の意図理解とも関連しており(Bartsch & Wellman, 1995)、交友関係を広げたり、社会の一員としてコミュニケーションをとったりするにあたっても大切な基礎となる。ただ経済的に豊かでないということが、こうした後々の人間関係構築や社会性の面での不利にもつながり得るのである。

このような不利益が子どもに起こり得ることについて、背景を改めてみていきたい。低SES世帯では、保護者の長時間労働や心理的ストレスにより、子どもとの会話量が減りやすい。母親の発話量、使う語彙の種類、文法の複雑さは、幼児の語彙量と強く関連するといわれている(浜名・針生, 2015)。経済的困難は、家庭内における言語刺激の質量を減少させ、子どもの語彙発達に直接的な影響を及ぼす。低SES世帯では、親自身がストレスを抱え、子どもの感情に丁寧に言語を添える発話(emotion talk)が減少しがちであることが諸研究から示されている。感情語のインプットが少ない環境で育つことにより、子どもが感情語を使うようになる時期も遅れることになる(浜名・針生, 2015)。また、経済的困難に伴う心理的不安定(母親の抑うつなど)は、幼児の感情理解を阻害することが指摘されている(Raikes & Thompson, 2006)。

このように、低SES世帯の子どもは、言語刺激や感情語入力の不足、家庭の心理的不安定などにより、語彙発達・感情理解・心の理論の発達の面で不利を抱えやすい。しかし、感情を言葉で表現する力は、自己理解(酒井, 2000)、情動調整(日比野ら, 2013)、ストレス対処(Berry & Pennebaker)、他者理解(Bartsch & Wellman, 1995)、社会的スキル(藤本ら, 2019)など、非認知能力を根本から支える要素でもある。したがって、低SES世帯の子どもに対する支援として、感情語・心的状態語の獲得を促す言語的環境を整えることは極めて重要である。

低 SES 世帯の子どもの心的状態語、感情語に注目し、その理解(受容語彙)と使用(産出語彙)を保育士の評価に基づいて調査を行った。日本語を母語とする低 SES の子どもに特化した研究が乏しい現状から、国内初の系統的なデータ収集を目指した。この調査には年少〜年長の子どもを担当する保育士160名が回答し、うち

 - 標準的学齢群:45名
 - 低 SES 群:115名
が90語の心的状態語・感情語について、

 - 「知らない」
 - 「知っている(受容語彙)」
 - 「知っており・使っている(産出語彙)」

の3選択肢から、子どもの言語使用を評価した。
低 SES 世帯の子どもの言葉の特徴として見いだされた結果は以下のとおりである。

① 未獲得の語が多い
「迷惑」「思い出す」「忘れる」「夢を見る」「満足する」「知っている」
といった、他者の感情を推察したり、経験を振り返ったりする際に使われる言葉、そして自身の内面理解に必要な語が、一般的な同年齢の子どもに比べて学習されていなかった。

② 受容語彙としては理解できても、自分では使わない語が多い
「嬉しい」「幸せ」「大切」「好き」「難しい」
といった肯定的な気持ちや、価値を示す語をあまり使用していないことが示された。

③ 受容語彙(知っている言葉)としても産出語彙(使える言葉)としても乏しい語がある
「残念」「飽きる」
といった、感情をより精緻に表す語の習得と使用に遅れがみられた。

④ 産出語彙(使える言葉)として極端に少ない語
「かわいそう」「心配」「安心」「悩む」「きっと〜」「不思議に思う」「気持ち悪い」
といった、より高度な精神機能を前提とする語の使用が少なかった。

⑤ 使用が多い語
これらの特徴に加え、低SES世帯の子どもの使用割合が、同年齢の子どもに比べて高い語も見出された。それは、「うざい」という語であり、さまざまな不快感が、この単一の否定的語彙に集約されている可能性が示された。

⑥ 使われない表現(~よ、~ね、~よう)
「おいしいね」「もう帰ろうよ」「出かけよう」といった、会話の相手がいる際に用いられる修辞の仕様が少なく、日頃の生活において、他者と関わりコミュニケーションをとっていく経験の不足が背景にあることが示唆された。

以上のように、この調査結果から浮かび上がる低SES世帯の子どもの言葉の課題は、感情の細かな違いを表す語、他者への配慮を表す語、経験を振り返る語、推論や仮説を表す語、などの獲得が困難という点である。これらは心の理論や感情理解、そして内省に関わる語であり、非認知能力の発達に強く影響すると考えられる。

本稿では、低 SES 世帯の子どもの言語発達が、環境要因や心理的要因により不利になりやすいこと、そして感情を言葉にする力が非認知能力を支える重要な基盤であることを示した。調査結果からは、まさにその理論的指摘を裏づけるように、低 SES世帯の子どもほど、心的状態語・感情語の理解や使用が遅れる、という具体的なデータが示された。とりわけ、肯定的感情語・内省に関わる語・心の推論に関わる語の習得の遅れは、将来的な自己制御、対人理解、社会的スキルに影響を及ぼす可能性が高く、言葉を通じた支援の重要性が改めて裏付けられたといえる。

鹿児島県立短期大学飯田 都
2006年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得後退学。
岡山大学学術研究院教育学域(教育心理学)特任助教、浜松学院大学現代コミュニケーション学部(現地域共創学部)専任講師を経て現職。
中高教員、保育士の養成に従事。児童生徒の個性と環境特性の相性からみた学級適応、子どもの言語発達と社会格差をテーマに研究活動を行っている。
2006年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得後退学。
岡山大学学術研究院教育学域(教育心理学)特任助教、浜松学院大学現代コミュニケーション学部(現地域共創学部)専任講師を経て現職。
中高教員、保育士の養成に従事。児童生徒の個性と環境特性の相性からみた学級適応、子どもの言語発達と社会格差をテーマに研究活動を行っている。
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