とある当事者の就職氷河期記と地方創生

1975年、私は東京で生まれた。巷を騒がせている現在の少子化はその年から始まり今も減少の一途をたどり続けている。そして内閣府の資料では1975~1984年まれの人を就職氷河期コア世代と位置づけているとのことだ。1975年生まれは2025年の今年でちょうど50歳を迎えるわけだが、まさにこの日本の激動の50年間を生きのびたことになる。僭越ながら今回は当事者の1人として就職氷河期記について書きたいと思う。

極寒を体験して思い知った現実

今さらだが「就職氷河期」とは1991年のバブル崩壊の経済的な不景気以降に就職難となった時期のことである。新卒に対する有効求人倍率が低水準であったため正規雇用に就けず経済的に不安定な世代を生み出した。と、世の中では語られる訳だが当事者の1人としては到底総括しきれない忸怩たる思いがある。

就活前の当時、まだ学生だった私は中学校2種の教職課程を履修していた。不景気といえば一段と人気の出る公務員職を狙うためである。そして教育実習も無事修了し、ある自治体の教員採用試験に臨んだ。だが結果はもちろん不合格だった。もちろんというのは、ほとんどの受験者をひたすら落とすための試験だったからだ。まるで流れ作業のような面接も虚しかった。

当該年度における教採試験の倍率や就活戦線の異常さは、就職氷河期世代の中でも最大瞬間風速直下で極寒だった。あの最強寒波が一体どれだけ若者たちの希望を奪い続けたのか。「貴方は不合格」「今回は不採用」と面接の数だけ不採用通知が届き、まるで社会にあなたの居場所はありませんと言われているように感じた。私以外にもそういう人は少なくなかったはずだ。その当時の胸の内は決して筆舌には尽くし難く、ここに形容しきれるものではない。人の尊厳を脅かすほど残酷だった就職氷河期の史実は、今でも度々メディアに取り沙汰されている通りである。

そして私は、若くしてこの国には希望がないのだという現実を思い知ったのだった。だが皮肉にもその事が私を奮い立たせ真剣に人生に向き合う覚悟を決めさせたのである。そのことは後述するとして、まさかあれから30年以上も日本の経済が成長しないとは想像しなかった。この「失われた30年」は、私たち世代の人生を謳歌するはずだった黄金期とスッポリ重なっていたことになる。

私にしてみたら人生の船出において教員免許は手に入れたが、この乗船券では乗れる船も座れる席もないと言われたような気分だった。この世代の多くが船に乗れず時代に置き去りにされた事と、日本の国難ともいわれる人口減少問題による国力の低下は決して無関係ではないだろう。

希望のない国からの脱出

 ― 私の拓かれるはずの人生が見も知らぬ面接官の裁量で閉ざされて良いはずがない。
 ― この国で足掻いていても無駄なのだから脱出資金を貯めるしか道はないのだ。

就活で現実を知り、考えを完全に切り替えた私は「国外脱出」というモチベーションに背中を押されて自分の人生を切り拓こうとしたのだ。そのために就いたのはとても過酷な運送業の仕事だった。まだブラック企業という言葉もなく幾らでも働けた時代だ。当時の私の若さと世代特有の雑草魂はそのブラックな職場環境を自分らしく活躍できる居場所にしてくれたのだった。今こうして振り返るとその手段を選択したことは間違っていなかったと思う。

そして海外渡航資金を貯め国外脱出を果たし約2年間の放浪を経たことで、何となく私の中で人生における方向性と価値観が定まったのだと思う。その放浪期間の中での一番の気付きは皮肉にも「日本のすばらしさ」だったのだ。これは海外で暮らせばすぐに気付くことである。他の国を知れば知るほど思い知らされる現実であった。同時に日本人に生まれた幸運に対して宝くじに当たったような気持ちになり決意させられたのだ。これはもう日本で生きるしかない、と。

東京一極集中の逆張り

日本の良さに気付いたと書いたが、それは主に暮らす場所としての治安や文化、国民性のことである。日本の政治不信や経済成長のなさ、教育システムと産業構造のミスマッチをはじめとする社会的なメカニズムの問題に対しては、改めて本当にガッカリさせられてしまっている。その一番の象徴が東京一極集中である。これは数多の学識者やコメンテーターが毎日のように語っている通りだが、この致命的な社会構造が都市化や少子化を助長させて地方の衰退を進めてしまい、人口減少を加速させている一因になっているのだ。だが、それらしく東京一極集中の是正を宣う有識者たち先生方の多くも東京に住んでいるのであきれてしまう。

現在私は北海道に住んでいるが、そのきっかけが海外放浪での気付きによるものであると思う。私と私の妻は共に東京生まれである。私と同年齢の彼女も同じように、就職氷河期の現実に弾き飛ばされて国外脱出を果たしたのだ。その放浪期間中に私たちは出会い暮らす場所として自分たちで選んだ北海道に移住して所帯を持った。それから3人の子供を授かりマイホームを建て、会社を経営し従業員を雇用しているが、地方に暮らしていて思うのは人生の豊かさとは何かという本質的な問いについてだ。人は何のために生きているのか。

安定した仕事や高学歴を求めて都市部を目指すことが果たして個人の人生に何をもたらそうとしているのか。その結果、日本の将来の姿はどうなるのだろうか。優秀な人材が東京に集まるような仕組みをやめようとしない日本政府の掲げている地方創生とは一体何を目指しているのか。

空想と現実と選ぶこと

もし就職氷河期がなかったら、この国はどうなっていただろうか。あの世代の若者たちもそれまでの世代と同様に押し並べて就職できていたはずだ。その結果、今の日本のような状況にはなっていなかったかもしれない。しかし、そんな空想をいくらしてみても虚しさが募るだけである。ところが、日本を離れ海外に目を向けると、多くの若者が非正規雇用どころかアルバイトにさえ就けないような厳しい経済状況の国もあるのだ。それを思うと日本は選ばなければ職種や雇用形態に不満はあれど、働く場所があるだけラッキーだったのか。50歳にもなってタラレバを空想したり今さら自分の生まれた国や世代の不遇を呪ってみたりしても、実に詮ないことなのだ。

だが私たちはこれからも日本の現実を生きていかなくてはならない。確実に人口の減っていく日本で自分らしく暮らし続けていくには何をする必要があるのか。多くの人も感じていることかもしれないが、現状のこの国では幸せにはなれない要素であふれていると思うのだ。では、それらを変える為に自分たちにできることは何か。その一つの行動は【選ぶこと】だろう。住む場所、読む本、政治家、仕事、時間とお金の使い方。日本のすばらしさの一つは「選べる自由のある国」という点なのである。

私の暮らしている地域は移住者が多い。その中で海外経験をしてきたあと暮らす場所としてこの地を選んだ人も多くいるのだ。人生を豊かにしようとしている人たちが集積しているような印象がある。小さい町だが子供の数は増え、学校などは活気に満ちあふれている。持続する地域を創っていこうと元々住んでいる住民たちと融和し、積極的にまちづくりを楽しんでいる移住者たちもいるのである。小さくともキラリと光る地域を住民たちで創る。誰もが東京に出て成功を目指す人生だけに価値があるわけではないのだ。

そのことに気付けたのは私が就職氷河期世代の当事者だったおかげなのかもしれない。

ニセコ在住下田 伸一
1975年東京生まれ。就職氷河期世代で日本からの脱出を決意し海外渡航したが、日本の良さに気付き帰国。
2002年より二セコ町に移住し現在はアウトドア会社の経営とニセコリゾート観光協会の代表も務める。
趣味はスノースポーツ、アウトドア活動全般、読書、エッセイ執筆、犬の散歩
日本の社会問題では人口減少問題、地域創生、教育問題などに関心を持つ。妻、長男、次男、長女の5人家族。
1975年東京生まれ。就職氷河期世代で日本からの脱出を決意し海外渡航したが、日本の良さに気付き帰国。
2002年より二セコ町に移住し現在はアウトドア会社の経営とニセコリゾート観光協会の代表も務める。
趣味はスノースポーツ、アウトドア活動全般、読書、エッセイ執筆、犬の散歩
日本の社会問題では人口減少問題、地域創生、教育問題などに関心を持つ。妻、長男、次男、長女の5人家族。
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