産業革命で機械の性能が大幅に上がって以来、生産性を引き上げる発想が生まれた。その方法は、人間の動作を機械に代用させる方法を見つけることである。1936年のチャップリンの名作「モダンタイムス」では、機械化された工場で、機械に使われる人間の悲しさを訴えているが、分業下での作業のような非人間的と思われる単純作業を、進歩した機械で代用しようとする考えは、それなりに合理的で、生産効率を大きく引き上げた。
人間の作業を機械で代用するという成功体験は、その後凄まじい勢いで広まり、従来なら人間にしかできないと考えられていた複雑な作業も機械で代用しようとする傾向は強くなっていった。これに対して、一部労働者は反発したが、「生産性向上」の原理のもと、人間の作業を機械で代用するという考えには抵抗できなかった。
近年、このような人間の作業を機械で代用し、それによって「生産性が向上」するとの考えは、サービス業にまで及んでいる。製造業であまりに成功し、広まったために、生産性向上=人間の代わりに機械を使うこと、が一体化してしまったようにも思われる。しかし、いかに精密な機械を作っても、人間の作業を代用できない場合もある。例えば、20年ほど前から障害者(両手が使えない)の食事摂取を機械で代用しようとする試みも行われたが(1936年の映画「モダンタイムス」にも同じ様なシーンがある)、食事介助という複雑な作業を機械で代用することは、未だ不可能である。動作の複雑さもさることながら、介助される人間の反応を見なければならない点では、現在のところ、機械の手に余るのである。しかし、さらに機械を改良することによって作業の自動化を成し遂げようとする人もいる。この段階になると、現在での機械の能力を超えるかもしれないし、対人サービスを人間の代わりに機械で行うことの是非が問われるようになる。この過程で感じるのは、生産性の向上を目指す試みが、人間から機械への代替えでなされる、との構図が、モダンタイムスの時代(1930年代)から同じ様に続いていることである。
一方で、生産性の向上の目的で、「人間の作業を機械で代用する」の構図から離れ、「人間の能力を高めて、対人サービスの生産性を高めようとする試み」は少ない。その理由は、歴史的にサービス業が民主主義以前の階層社会では低い階層の人が高い人々に対して行うものであるとの認識が強く、賃金も十分とは言えないものだったことも一因だ(結果的に機械で代用しなくてもさほど費用はかからなかった)。作業工程から見ると、工場労働者に比べ、作業はサービス業のほうが格段に複雑であり、機械化には、工場以上の投資が必要となる。しかし、工場での成功体験から抜け出せない経営者(あるいは政府関係者)は、どうしても人間の労働に対する「生産性向上」の切り札は、機械での代替であるとの考えに固執する。人間の労働を見直し、機械化する妄想を取り去って、人間の労働についての生産性を引き上げる方法は無いものだろうか?それは多分、存在するはずである。
例えば、日本での介護に従事する人たちの作業のやり方は、30年前と殆ど変わっていない。仕事量や、やり方が同じなら、給与は相変わらず生産性が上がっている他業種に従事する人よりも相対的に低くなる。介護方法を根本的に改め、一人の介護労働者が多くの作業を行うようにしなければ、生産性は上がらず、給与も低いままである。それは部分的に機械を導入する場合もあるが、多くは介護のシステムを変更するか、あるいは、介護手法を改善することによって達成できる(それに伴うストレスは十分考慮する必要がある)。介護システムの変更や介護手法の向上は、すでに示されているが、介護現場に何故か浸透することがない。生産性が上がらず、給与が不十分なら、それに従事する労働者はいなくなり、その結果としての選択は、対人サービスを受けずに自分でやるか、高額な費用を払うかになるだろう。
また、介護の方法を効率化しようとする場合、まず行うべきことは、介護をはじめとした対人サービス業の労働者にとっての心理的問題である。対人サービスの労働者は、物に対する製造業労働者と違い、変化する人間に対しての対応を迫られるために、ストレスが倍増する。まず、このようなストレスに対する対策が不十分である。機械が人間の代用になるとみなす考えの人は、対人サービスのストレスにも無関心となるだろう。しかし、対人サービスが機械化出来ず、人間の能力向上が生産性を引き上げる要素となれば、まずは、心理的ストレスに対する対策を行うことが、人間の作業能力向上に大きな力を与えることになる。
このように、対人サービスにおいては、生産性向上を人間から機械への転換ではなく、人間力の向上によって行う考えもある。ストレス対策の推進は、このような人間力向上の第一歩となるだろう。
岩下 康子の記事を見る
二村 昌子の記事を見る
Opinionsエッセイの記事を見る
東沖 和季の記事を見る
下田 伸一の記事を見る
宇梶 正の記事を見る
大谷 航介の記事を見る
東 大史の記事を見る
池松 俊哉の記事を見る
研究助成 成果報告の記事を見る
小林 天音の記事を見る
秋谷 進の記事を見る
坂本 誠の記事を見る
Auroraの記事を見る
竹村 仁量の記事を見る
長谷井 嬢の記事を見る
Karki Shyam Kumar (カルキ シャム クマル)の記事を見る
小林 智子の記事を見る
Opinions編集部の記事を見る
渡口 将生の記事を見る
ゆきの記事を見る
馬場 拓郎の記事を見る
ジョワキンの記事を見る
Andi Holik Ramdani(アンディ ホリック ラムダニ)の記事を見る
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る