ウクライナ戦争は、アメリカが仲介しているにも関わらず、依然として収束に至る気配が乏しい。2022年2月からのロシアによるウクライナ侵攻は、他国の国境を侵すことを禁じる国際条約に違反し、欧州に冷戦時代を思わせる恐怖を与えた。西側諸国は一致して民主主義に対する重大な侵犯であるとの認識から、ウクライナに対して多量の援助を与えているとともに、ロシアに対して経済制裁を課している。
しかし、なぜロシアがウクライナにこのようにこだわるのかについては、十分な説明はなされているとは言えない。M.E.サロッティ著による『一インチの攻防』は、1989年のベルリンの壁崩壊からドイツの統一、さらには1991年のソ連崩壊、その後の西欧諸国とロシアとの関係を、1989年から1999年までの旧ソ連及びロシアでの政権交代、つまりゴルバチョフ⇒エリツィン⇒プーチンに至る権力の移行とともに、豊富な資料を駆使し、当事者に対するインタビューを加えた、いわゆるオラールヒストリーを交えて、臨場感溢れるものとしている。上下巻合計900ページの大作であるが、一級の読み物としても非常に面白い。表題の『一インチの攻防』は、ドイツ統一の際、ロシアがドイツ統一に協力する見返りとして、NATOの東方拡大は一インチなりとも行わないとの約束があったという問題(プーチンが主張している)に対しての答えともなっている。
主たる登場人物は、ロシアの指導者、アメリカのブッシュ(父)、クリントン大統領、ドイツのコール首相、フランスのミッテラン大統領、その他NATO加盟を希望する、ポーランドのワレサ大統領、チェコのハヴェル大統領、そしてハンガリーの今は首相であり独裁者と称されているオルバン氏たち、そして、アメリカの対外政策を担う官僚群、NATO関係者などが登場する。
テーマは、NATOの拡大とそれに対するロシアの反応である。結論から言えば、1989年のベルリンの壁崩壊から、1992年から1993年の東西蜜月時代、特にクリントンとエリツィンとの間で、ロシアを除外せず西側同盟に包み込み、協調関係を作ることが出来ていれば、今日のような「新冷戦」と呼ばれる状態は起らなかったのではないか?しかし、その反対に今のような状態になった経緯も克明に記されている。決して一方的にロシアの問題でもない。つまり、ロシアはGDPこそカナダより少し下、韓国より少し上、日本の二分の一、アメリカの十三分の一に過ぎない経済規模であるが、国土の広さにともなう食料の自給が可能なこと、エネルギー資源豊富さと独特の国民性、そして決定的なのは2000発の戦略核弾頭を保有していることなど、ソ連時代と同様に、超大国の地位は揺るがないことである。1990年代前半のソ連崩壊後に、西側特にアメリカがもう少し歩み寄って、ロシアに協調する、つまり、経済的な協調、支援を行っていれば、現在とは全く異なる世界が出現していたかもしれないことを示唆している。
足をひっぱるのは、指導者個人の問題もある。エリツィンの健康問題(飲酒問題)そして、クリントンのモニカ・ルインスキー問題である。対外的には、1994年のロシアのチェチェン問題やNATOが介入したボスニア問題、さらには、コソボ紛争に対するNATOのセルビア空爆などだ。これらの個人的なエピソード、あるいは首脳間の駆け引き、同時に出現する補佐官たちの意向など、人間社会の複雑な性質によって、社会が大きく変化することを実感させる。
著者が強調するのは、PfP(平和のためのパートナーシップ)についてである。ソ連が崩壊して間もなくの1994年に創設されたこの協定は、NATO諸国とソ連を含む旧ワルシャワ条約加盟国(加えて旧ソ連構成国の20ヶ国)との間の信頼を醸成することを目的とした取り組みのことである。この協定によってロシアに対する恐怖が解消し、旧ワルシャワ条約加盟国のNATO加盟が不要となり、現在のようなNATOの東方拡大もなく、全欧洲を含む平和が実現する可能性があったが、それは結果的に叶わなかった。
大作であるが、是非とも多くの人に読んでもらいたい労作である。
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