私は岡山県の北の方の田舎の出身である。小さい頃から父の友人たちの会話を傍で聞くことが好きな、ジジ臭いこましゃくれた子供であった。
私たちはいつかは死を迎える運命にある。子どもの頃はそれをあまり意識することは無かったが、まわりの大人が「どこそこのなになにさんはええ死にじゃったなあ」ということを、大人の会話の中で時折聞くことがあった。その頃は、死んでしまうのにいいも悪いもないだろう、悪いに決まっているじゃないか、と考えていたものである。
当時の厚労省の統計によると、在宅で死亡する人が9割、病院で死亡する人が1割という時代であった。ついでに言うと、お産婆さんで生まれる児が約9割、病院で生まれる児が1割という時代でもあった。田舎ではあったが、私は病院で生まれたというのが自慢であった。そんなことは今どきことさら言い出すのも恥ずかしい位当たり前のことなのだが、その頃の悪ガキの間では何となくハイカラという雰囲気を醸し出していたのである。
現在では在宅で亡くなる人が1割強、病院で亡くなる人が8割位であるのはご存知であろう。今に、在宅で亡くなることがハイカラという時代が来るのではないかと期待しているのだが…。
当時は亡くなる原因も、多くの場合が高血圧によるところの脳出血、あるいは動脈硬化によるところの脳梗塞が多かった。ひっくるめていわゆる「中風」である。発症してそのまま亡くなるのが、いわゆる「ええ死に」とされていた風潮がある。これが「ぽっくり逝く」というやつである。
少し前、PPK(ピンピンコロリ)という言葉がはやったことがある。岡山県の井原市には「嫁いらず観音院」というお寺がある。そこにお参りして信心すれば、ぽっくり逝くことが出来るので、嫁の世話になることが無いと信じられている。PPKを願う善男善女が大挙して参拝し、下着を奉納し、「下の世話」を嫁に任せなくてもよいようにと、ご祈祷を受けている。もっとも、現在では世話をしてくれるような嫁は、多分どこを探してもいなくて、介護保険や有料老人ホームのお世話になる時代になってきたのではあるが。
それにしても周りで「ええ死に」という言葉を聞くこともほとんど無くなった。
私たちはいつかは死を迎えなくてはならない。その時に私たちはどのような時間を望むのであろうか。死が身近に存在しなくなって久しい。私たちは他人の死から死の様態を学ぶ機会を失ってしまった。あるいは医療の進歩により、多くの死を身近に見てきた医療者でさえ、死を自分のこととして考えることをやめているのではないかとも思える。 Steinhauser教授らは75人の患者、医師、看護師、牧師、ソーシャルワーカー、ボランティア、家族に詳細なインタビューを行って「よい死」に関連する因子を探った。その結果6つの因子が浮かび上がった。※1)
(上記の図は相良安昭先生より提供)
1) 痛みと症状のマネージメントが出来ている。
これは薬剤や様々な治療で可能となる。激痛にのたうちながら死を迎えることを望むものは誰もいないであろう。身体的苦痛を取り去り、和らげることは緩和医療のもっとも重要な役割である。
しかしながら、未だ患者さんやそのご家族が抱く麻薬や痛みへの多くの誤解、医師の知識の不足によって、この重要なゴールが達成されていないのは、実に残念でならない。このゴールが達成されるためには、国民と医療者双方の意識が変わることが必要である。
2) はっきりとした意思決定が出来ている。
残酷な現実であるが、はっきりとした意思決定が出来ていようといまいと、死は訪れる。意思決定が無く良い死を迎えられなかったとしても、もう一度それをやり直すことは出来ない。しかしながら、多くの人が一致して、はっきりとした本人の意思決定が出来ていて、それを周囲が認識していることがGood Deathの重要な要素であると考えている。これが明らかになっていないと、望まない医療行為が行われることがある。余命や、医療技術の限界を知らなければ、効果の無い治療を日常生活の犠牲を払いながら続けていくこともあるであろう。医療行為の結果で何が得られるかを説明されていなければ、それに対する意思を決定することもできない。普段から周囲との良いコミュニケーションを築くことが求められている。
3) 死に対する準備が出来ている。
本人が医療提供者から正確な情報を得て、よいコミュニケーションを築くことによって初めて死に対する準備が出来る。我が国においては予後あるいは残された時間を患者本人に知らせることに対しては医療者や患者の周囲において抵抗が強い。残された時間を正確に予知することは困難であり、がん治療法の進歩によりそれはますます難しくなってくると考えられる。しかし、不確実であっても、不確実であるという情報と共に、患者本人がCancer Journeyのどのあたりを旅しているのかを告げることは、極めて重要であると考える。旅路の終点が近いことを知らなければ、我々は列車を降りる準備は出来ないのである。ほとんどの患者は余命を知りたいと言っているにもかかわらず、それが出来ていない現状を変える必要がある。
4) やり遂げることが出来ている。
我々は欲張りである。あれもしたい、これもしたい。あれをたべたい、これも食べたい。あれも見たい、これも見たい。しかもその欲望は果てしない。
これからを見ている間は、やり遂げたなどと考えることはない。やり遂げたと感じることが出来るのは、今まで歩んできた道を振り返って見た時のみである。その点からも、篤い病を得た時に大事なことは、今まで来た道を周りの人と一緒に分かち合うことである。それをすることで私たちは自分の人生を充実したものであること、自分の存在がかけがえのないものであることが初めて認識出来るのである。それは極めて個人的な営みである。
5) 他者への貢献が出来ている。
我々は一人では生きていけない。人間は社会的な動物である。我々の喜びは利他、すなわち他に対して善を為すことである。それが我々の喜びに繋がり死を超えた満足につながることになる。ヘーゲルによれば人間の人間たる所以は「認められたい」という欲望であり、それが満たされた時に初めて自分の存在に誇りを持てるようになるのである。利他は「認められること」のためにも有効に働く。
6) 一人の人間としての全人的な肯定が出来ている。
病を持った患者に対しては周囲、特に医療従事者は全人的な存在として接することが重要である。「治る」と「癒る」の項で述べたように患者本人が周囲から共感を持って接してもらうことにより「癒る」ことを達成することが出来る。医療提供者や周囲の人たちが患者の側に静かに佇み、患者のすべてを受け入れることにより、患者は自分から「癒る」ことが可能になる。その時に全人的ケアが達成されるのである。
Steinhauser教授らの検討では医師とそれ以外の患者、家族、看護師などではGood Death の考え方に大きな開きがあることが明らかとなった。医師は薬物治療や医療行為がGood Deathと大きく関連していると考えていた。つまり未だに「治す」方向でGood Deathを達成しようと考えているのである。一方で患者や家族、他の医療従事者は様々な因子が死の質に関連していると考えていた。医療や薬物療法は大切であるが、それは死を迎える患者ケアの一側面にすぎない。患者や家族にとっては社会的、精神的、スピリチュアルなケアもGood Death のためには重要なことであることがあきらかにされた。
医師は「治す」ことを唯一最大の医療の目標としてきた。死を目前にした時であっても「治る」ことを目標にする医師に対して、患者は甘んじてそれを受け入れてきた。しかし結局、患者、家族はそれだけではGood Death が得られないことをあとから知ることになる。最近になってようやく患者や家族が意思を表明することが可能となりつつある。また医療現場でもそれを積極的に支援する動きが出てきた。
次回はその方法の一つとして最近注目されているAdvance Care Planning (ACP)についてお話しします。
※1)参考文献
Steinhauser KE1, Clipp EC, McNeilly M, Christakis NA, McIntyre LM, Tulsky JA. In search of a good death: observations of patients, families, and providers.
Ann Intern Med. 2000 May 16;132(10):825-32.
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