本Webマガジン9月19日配信記事で、病に罹った時「治る」と「癒る」の二つが重要であることを書きました。
みなさんは、「治る」とはどういうことかは既にお分かりかと思います。
では「癒る」とはどういうことでしょうか。「癒る」ことは本当に可能なのでしょうか?
私たちの前にある「現実」について考えてみましょう。
例えば、目の前にあるりんごを見ているとします。りんごは我々の目という感覚器で捉えられ、視神経を通じてその信号が脳に送られ、我々は「りんごが有る」と認識します。目を瞑ればりんごは目の前から消失します。りんごは無くなるわけです。しかし「りんごが有る」という現実は変わりません。逆に、目を瞑って頭の中でりんごがあると想像してみてください。現実にりんごは無くても「りんごが有る」という状態は脳の中に作り出すことができるわけです。
つまり、「現実」は我々の脳が認識しているから存在するわけです。
美味しいウイスキーが有るとします。そのウイスキーが知らないうちに誰かに飲まれてしまいました。瓶の中に半分残っています。それを見た時、私たちは「もう半分しかない」と怒りを抑えることができないでしょう。
逆に、友人と秋の夜長にゆっくり語らいながらウイスキーを飲んでいるとします。ふと気が付くと、瓶の中味が半分になっています。でもまだまだ時間はあります。そしてウイスキーも「まだ、半分」あります。ゆっくり語らいながら飲めると思うと、まだまだと思うことができます。
好きな方が相手だと「もう半分」と思ってしまうかもしれませんが、、、。
このように「瓶の中に半分残っているウイスキー」という現実は、我々の価値観によって様々に認識されるということがお分かりいただけたと思います。
現実は、我々がどのように認識するかによって、その様相が異なってくることがお分かりになったと思います。
私たちはホスピスを訪ねることがあります。ホスピスにおられる方々は、篤い病で自分の死が近いことを認識されている方々です。死期が近い、というとホスピスは暗い雰囲気が漂っているところと思われるかもしれません。ホスピスにおられる方の病は、一般的には「辛い」、「苦しい」、「暗い」などというネガティブな形容詞で想像されるものです。
しかし、ホスピスにおいては「安らか」、「ゆったり」、「穏やか」などの、どちらかというとポジティブな形容詞の方がぴったりくる時間が流れています。
同じ病気、同じ病期、同じ苦しみを持っていても、それを「辛い」、「苦しい」、「嫌だ」と捉える人もいれば、それを受け入れて、「穏やか」、「安らか」に毎日を過ごしておられる方が多くいるということです。同じ現実、同じ病であっても、人によって捉え方が様々であることが分かります。
篤い病であっても穏やかに過ごすことができているのを見ると、この方々は確かに「治らないけれど癒る」ことができているのだと思います。
医療はその「癒る」力に対して、どのようなことができるのでしょうか?
それは「病を持つ人の隣にいてあげること」です。なんだ、そんなことしかできないのかと言われるかもしれません。しかしながら、「治す」ことと異なり「癒る」ことは、病を持つ人自身がその病に対して認識を変化させ、自身で新しい自己に変わることでしか達成できないのです。周りからそれを強制することはできません。あくまで病を持つ人が自分で病を受け入れてそれを自分のものとすることで初めて「癒る」ことが達成されます。
医療はそれを促進することができます。緩和医療ではnot doing, but being という言葉があります。何かをするというのではなく、ただ傍にいるということで、病を持つ人の「癒る」力を支えるのです。私たちは一人で生まれてきて、一人で死んでいくのですが、広い原っぱに一人というのは心細いですね。やはり誰かが傍にいて欲しいと思いませんか。傍に誰かがいるだけで力づけられますよね。病と闘う時にもやはりそばに誰かがいて欲しいと思うのは、私だけでしょうか。何もしなくても、ただ病を持つ人のそばにいてずっとそばにいることを伝えることで、その人が安心して「癒る」ことを促進することができるのです。この点から言うと「癒る」を支えるのは医療者でなくても良いのです。一人の病を抱える人を多くの人が支えることができるような社会になればと、切に思います。
私たちは皆生まれながらにして「癒る」力を持っています。病を得てしまうことを不安に思うことはありません。
しかしながら、「癒る」力を最大限発揮するためには、多くの人が傍にいて支えてくれるような人間であること、病を克服する人間力を養うことが大切なのです。
医療者においては、様々な技術を駆使して「治す」ことと、患者さんの傍に寄り添うことで「癒る」ことを支えること、このふたつを同時に提供することが望ましい「全人的ケア」なのです。
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