公的記述は元号でなく西暦で

ペリーの来航は、嘉永6年(1853年)である。この事件が起こった日時を、嘉永6年と覚えさせると、「いつごろ?」と考えてしまう。従って、歴史の授業では、ペリー来航を嘉永6年と覚えずに、1853年(いまから168年前;2021年-1853年)と教える。歴史では、大きな事柄がどのような順で起こったのか、あるいは、どの様な因果関係で起こったのか、が重要で、現在の生活を考える上での重要な手がかりとなる。これを元号で振り返るとその中に、嘉永⇒安政⇒万延⇒文久⇒元治⇒慶応⇒明治⇒大正⇒昭和⇒平成⇒令和と11の元号を記憶しなければならない。

そもそもペリーの来航は大昔なのか、すぐ近い時代なのか、直感的に168年前と感じられるのは、西暦で記述しているからである。しかし、未だに、〇〇が起こったのは、明治〇〇年との記述も多い。

ペリー来航が江戸幕府を終了させた大きな原因であるとのことは、多くの日本人にとって周知のことであるが、明治維新(1868年)のどれぐらい前かを問われると、嘉永6年から明治元年までその間には、安政⇒万延⇒文久⇒元治⇒慶応と数えるため、かなり長いのかな?と思うが、実際には(1868-1853=15年)に過ぎない。明治維新は開始時期については諸説あるが、狭義では明治改元に当たる明治元年旧9月8日(1868年10月23日)となる。

このようなことは「当然のこと」と思われるが、実際には、昭和〇〇年、平成〇〇年、あるいは、令和〇〇年と記述する場合が多い。テレビのニュースでも元号を使っているようだ。これは政府の公式文書が元号表記になっているからである。元号は日本独特なものなので、保存することには異論はないが、現在問題になっている「デジタル的記載」を行うためには、まず、真っ先に改めるべきことだろう(デジタル庁に期待!)。ペリーの来航は嘉永6年とは言わず1853年と言っている場合が多いが、最近の出来事をニュースではどのように表しているのか? 例えば、前回の東京オリンピックは1964年か昭和39年、ほぼ半々ぐらいか、オイルショック1973年あるいは昭和48年、やや昭和が多いだろうか? バブル崩壊1991年か平成2年、東日本大震災2011年か平成23年、どちらの表記が多いのか? それにしても、健康保険証;生年月日昭和〇〇年、取得年月日平成〇〇年交付、運転免許証は生年月日昭和〇〇年、交付令和○○年である。3つの元号が入り混じっている。しかし、運転免許証の有効期日は大きく20○○年(令和○年)○月○日まで有効などと記載されているのは西暦のほうが間違えにくいからだろう。

子供に歴史教育を行う場合は西暦で記述している。前後関係がつかみやすいからだ。同様に大人に対しても西暦で記述すべきだ。この程度の改正を行うことが出来ないのでは、デジタル化は程遠い。文化は尊重すべきであるが、それとこれとは話が違うのである。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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