多くの宗教では、人間は他の動物とは異なり別格とされている。なぜなら、人間だけが「心」を持っていて、他の動物は持っていないからだという。神が人間をそのように作ったので、心を持たない動物は殺しても問題なかったのである。しかし、19世紀後半になり、「進化論」が生まれた。進化論はそれまでの価値観を一変させ、神が人間を作ったのではなく、単細胞動物から長い時間・・・数億年をかけ、魚類、両生類、爬虫類などを経て、鳥類、哺乳類を生み、人間に至ったというのだ。これらの経過は「連続的」であり、種ごとの断層は存在しない。「心」は人間にはあるが、同様に哺乳類も、鳥類も、ひょっとすると、爬虫類も魚類も持っているかも知れない。
「心」は人間の他の器官とは違い、「魂――心と同じようなもの」が物質から作られているわけがない、と、長い間考えられていた。身体的な「死」を回避し、忌み嫌う気持ち―魂は死後も残る―もこの考えを助長した。人間が死ぬと「魂――心」が消失することは認めたくなかった。脳の研究が進んだ20世紀になっても、相変わらず心と身体は別のものという考え(いわゆる心身二元論)は幅を利かせていた。多くの人は未だに物質でない「魂」の存在を認めているかのようだ。
「心」の中心は、自分が存在するとの思いである。いわゆる「自己」が物質あるいは脳組織-神経細胞から出来上がっていて、その物理的な働きによって「心」が作られるとは、素直に了解することは難しいとの思いがある。それに加えて「自己」の消滅である「死」の問題が相変わらず影を落とす。「心」の問題は、脳の神経細胞が「自己」をどの様に作るのか、あるいは作ることが出来るのかが明らかになった時点で、解決し、納得が出来る説明が得られるだろう。
「心」がいかにして出来たのか、あるいは何で作られているのかについて探る場合、作られた目的を探るべきだろう。つまり「心」は何のためにあるのか? 単細胞生物は、採餌行動や危険回避行動を、何も考えずに反射的に行っているのは言うまでもない。餌に「自動的」に引き寄せられ、障害物がありそれを感知すると「自動的」に体が動き回避行動を取る。しかし、このような単純な仕組みは、欲求が複雑になると混乱する。進むべきか、回避行動を取るべきかどうかを判断することは生き残りの際に重要だが、単純な神経組織では選択することが出来ない。しかし、これらの行動に感情が加わると選択の正当性が強化される。つまり、良い選択をすると幸せな感情が生まれ、悪い選択をすると嫌悪の感情が生まれると、選択行動はより強化され進化する。感情は生き残りを促し、生物の進化に貢献した。決して、理性が主導して行動を選んだわけではない。
感情は、行動を促し、進化するための条件となったが、一方で不快感情が増すとストレスになりうる。例えば、狩りに行った際、獲物である鹿が見つかったが、その周囲にライオンがいて危険だった。恐怖が勝り、狩りを断念したが、あとから周囲から責められ、自身でも悔いが残るとそれはストレスになる。大きな家に一人で暮らすとき、物音に怯えて、誰かいるかも知れない(鍵を十分に掛けているにも関わらず)と恐怖に怯えることは、狩猟採集時代の暗闇を怖がる感情が生み出したものだ。この感覚はまさかのときに強盗を見つけることには役立つが、普通は頻繁に強盗が入ることはないので無駄な感覚だ。現代ではこのような欲求の選択に伴う「余分な」感情によるストレスが多くなっている。
どの様に生きていくかについて、自己肯定感がない場合、悩む人も多い。他人に言われた一言が苦になり、クラスメートに虐められ、登校拒否になることもある。多くの場合、自分が感じる苦しい感情は、他人から見ると、物理的不満足(お金がない、病気であるなど)より、重大なことではないと思われやすい。しかし、苦しみの感情は過大に自分の心を占めているのである。他から見るとそんなに苦しまなくてもよいのに、もっと世界を単純に見なさいと言いたくなるのだ。しかし、苦痛がコントロールできないのが多くの人間である。つまり、人類が持つ欲求に感情が加わった「進化圧力」がストレスを生んでいるのだ。感情が加わり強力になった不満足を取り除くことは、自然選択の呪縛からの解放といってもよい。進化に伴う渇愛欲求からの脱却は非常に大きな救いだ。
そこで、このような感情の取り扱いが問題となる。苦しんでいる人に対して人間の生き方の根本(もっと独立心を持ちなさいなど)を問題にするとややこしい。そうでなく、人を苦しめている問題に伴う「感情」を取り上げ、それを客観的に検討すればどうだろうか。この場合、解決できない問題を直接取り上げるのでなく、問題が引き起こしていると思われる感情を取り上げる。なぜ、そのような感情を抱くのか? 感情はなぜ湧き上がっているのか? 静かに集中して考えをめぐらし、その中で、ストレスを生んでいる感情を取り上げるのだ。不快な感情を取り上げ、それを観察するのだ。進化の過程では、不快な感覚が少なく、心穏やかになることは、油断を生み、生き残る率は少なくなる。しかし、昔の環境と違い、現代では生き残ることとそぐわないような過剰な苦しみは、無駄なものだから取り除くようにすれば良い。むしろその感覚が湧き上がってくるのをマインドフルに観察し、完全に感情に囚われてしまうことがないようにするということが大切だ。
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
芦田 航大の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る