欲求と自由のサイクル

コロナ感染が広まって以来、日本の多くの分野について問題があることが明らかになった。つまり、システム、デジタル化、意思決定、ついには、科学技術まで、他の先進国に比べて弱い点が際立っている。もはや、分野ごとに何らかの原因があるのでなく、日本社会全体の構造問題として捉えなくてはならない。その点から言えば、近代社会の本質を考えて、日本社会の他国と異なる点がどこにあるのかを考えるべきだろう。既に何度も述べているが、それは、多くの人が「欲求を表明しない」ことにあるのでないか。日本社会においては、個人は欲求を表明せず、全体の雰囲気に合わせて行動することが好まれる。しかし、近代の資本主義あるいは自由主義社会においては、極端な新自由主義的立場(個人の自由こそが重要で、政府はひたすら小さい方が良い)を取らなくても、個人や社会の構成は、下図のようなサイクルが考えられるし、それを基本として社会が進む。

欲求と自由のサイクル

近代資本主義社会の原点は、「個人の欲求」を自由に表明できることだ。何らかの宗教的あるいは道徳的な規制があった時代(あるいは独裁国家)から、近代社会は、素直に欲求を表明できるようになったのだ。しかし、個人の欲求を実行すると、他の人々や地球環境などとの衝突が起こる。素敵な女性と恋愛をしたくても、相手が拒否するかもしれないし、友達を誘っても相手が応じないかもしれない。また、魚が好きだからと言って、海の魚を取りすぎると、魚がいなくなる。工場地帯を作ると空気が汚染し、農地を開発しすぎると、生き物は死に絶える。欲求は表明してもよいが、欲求を実行する場合、他者や環境が障害を受けることは誰も望まない。そこで近代社会は、自分の欲求をどの程度表明し、実行すべきかについては、人間同士の話し合いや、自然環境との対話が必要となることを学習した。そうしないと、他者や環境に悪い影響を与えるし、その反対に他者が欲求を自由に実行すると自分に悪影響が及ぶかもしれない。相反する欲求が衝突する場合、その解決策は話し合いである。話し合いの結果は、それがうまく進めば、お互いに相手の立場を考えて相互を理解する、「自由(欲求)の相互承認」となる。相手側の自由(欲求)を承認し、その範囲内での自己の欲求を満足させる方法を見つけることは、個別性を育み、お互いに画一的でない自由と欲求を認め合うことだ。

この様な理想的な世界が実現するばかりでないのは、多くの人が認識している。欲求が強すぎて、他者や自然に迷惑をかける場合もある。話し合いが十分出来ないことも多い。このサイクルは理想的に回るわけではない。しかし、この様なサイクルを信じて、お互いに意見交換を常に行い、理解を深める必要があるのが、近代社会での自由(欲求)を確保するために必須の条件となる。振り返って日本社会がうまく行っていない(少なくてもその様に感じる)のは、この様な前提に照らし合わせると、どこが問題だったのだろう。

「欲求が表明されない」ことが問題の原点にはあるらしいが、では、なぜ日本人が欲求の表明を行わないのだろうか。多分それは、一時的な衝突を回避したいからだろう。しかし、日常生活で大なり小なりの衝突に対する免疫性は必要であるのに、では、なぜ日本人は衝突に対する免疫性が乏しいのだろうか。おそらく、衝突のあとに必要な話し合いが出来ないか、あるいは不十分だからだろう。話し合いが不十分な原因を探ることは難しい。自分の考えを表明する言語力かもしれないし、それ以前に欲求の内容を正確に把握することが出来ないのかもしれない。しかし、話し合いが適切に行われなければ、衝突は解決せず、人間関係が壊れ、双方が気まずくなるだろう。環境に対しては、権力の強い存在が強引に事を進める結果となるかもしれない。

欲求の表明から自由の相互承認そして個別性の尊重に至る過程は、社会性がこのサイクルを何回も回すことによって成り立ち強化される。しかし、一度躓くと、限りなく悪化することにもなる。悪い連鎖が積み重なるのである。太平洋戦争以降、ひたすら成長を目指して、異論を挟まず努力した日本人が、成長が続く間は、話し合いをする必要性も乏しく、あるいは、話し合いを禁じられて数十年間経過した結果かも知れない。そして、言わなくても通じ合えるとの錯覚に陥ったのだ。つまり、話し合いがない場合には、行動自体を合わせないと、かえって衝突が悪化する。話し合いができない結果、ひたすら周囲に合わせて行動する習慣が強くなったのではないか。この結末として、争いのない社会、その反面、変化のない社会になった。当然ながら、変化は人々の独自性が自然な欲求を抱き、周囲との衝突と話し合いを繰り返して作るものだからである。日本に憧れる外国人は、自国の社会状態と比べ、日本の穏やかな状態を好きになったのだろう。しかし、日本自体にとっては、この穏やかな状態が衝突を繰り返し、話し合いを重ねた結果実現したのでないことを認識すべきである。衰退の危険を孕んだ沈滞の兆候に見えるのだ。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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