意識は2種類の意味で使われる。一つは医療的な意味であり、どの程度の覚醒状態かを示すものだ。JCS(Japan Coma Scale)では、9段階の意識レベルを分類している。清明な意識から、まったく意識がない昏睡状態まで分かれ、これは非常に使いやすく有益である。二つ目は、覚醒している状態とはどの様なものかを考える場合の意識である。この場合の意識は、自己やクウォリア(赤い色を生々しく感じることが出来る質感)が人間の中でどの様に作用しているのか、あるいはなぜ意識があるのか、その他の生物は意識を持っているのかなどの問題を考えることである。今回考えるのは後者の意識の不思議である。
意識が生まれる背景には、進化論的な理由がある。意識が人間に備わったのは、意識を持つことが有利だからである。「自然は素晴らしい、感動的である」と言われるが、実際には、自然それ自体ではなんの興味も起こさない灰色で意味のないものだ。そこに人間は、輝き、すばらしさ、感動、極彩色の映像を与える。それらは、脳の中の幻影と言ってもよい。自然そのものが素晴らしいのではなく、自然はただのプロセスであって、人間が脳の中で幻影を作っているのだ。目や耳から外部の情報を得ている人間は、視覚や聴覚によって得られる刺激を脳で大幅に加工している。つまり、人間が外界の環境を感じているのは、外界からの刺激(情報)によって外界を形作っているのではなく、脳で刺激に大幅な加工を加え、自分で作ったものを感じているのである。
従って、脳は外界からの刺激が少なくなると(目が見えづらくなったり、耳が聞こえづらくなると)、勝手に像を作ったり、音を作ったりする。幻視や幻聴(耳鳴りも含む)は、視覚や聴覚に障害が強くなったときに生じる場合が多い。例えば、高齢になって視力が低下した人(白内障や緑内障など)に起こる、「シャルルボネ症候群」は、視力が下がった高齢者の20%に生じる幻視である。幻視は非常にリアルであるが、同時に多くの人はそれが幻覚であると認識しているらしい。また、神秘体験(神の像を見たり、神の声を聞くこと)をしたという人たちも、外界に存在する神を見たり聞いたりしたというよりも、脳が作った像を見たり、聞いたりした可能性が高い。聴力低下と耳鳴りの関係も最近では数多く研究されている。このように、脳は外界の刺激に直接対応しているのでなく、自分自身で意識を作り上げているのだ。
意識は脳だけが作り出すものではなく、すべての神経細胞の働きから生じる。とは言っても、脳が意識の中心にあることは確かである。脳には1000億個の神経細胞(ニューロン)があり、これらは相互に連絡してシナプスを形成している。シナプスの数は100兆個とも言われる。ニューロンのうち、800億個は小脳系にあり、200億個が視床皮質系にある。意識は視床皮質系にあることは確かそうであるが、なぜニューロンの数が小脳系に多く偏っているのか不思議である(この理由はよくわからない)。
意識は見たり聞いたりするものを感動的に色づける。その結果、人間が生の喜びを感じることによって人間は生命の保全を願うようになる。意識は、生命の豊かさを与えることによって、進化を促進したが、同時に、それは、動物にはあまり感じられない死の恐怖をも与えることになった。死の恐怖を感じる大きな要素は記憶である。死の恐怖を免れるために人間は、現在の生のみに焦点を当てること、あるいは、集団的な存在を想定する事(死んでもその足跡が残ることによって意味を見出すこと)、さらには、自我を死によっても存続させること、などを行っている。自我を死によっても存続させること(魂の存在を信じること)は最も有効である。従って、宗教が出来上がる以前に魂の不滅はすでに考えられ、共有されていた。宗教を信じない場合も、魂の不滅は信じたいと思うのだ。例えば、アメリカ人の8割から9割は魂の不滅を信じているらしいし、日本人も同じような傾向だ。
人間は意識を獲得することによって、現在のような大きな繁栄を得ることになった。しかし、前述のように、生老病死は、その代償として人間に大きな負荷を与えている。科学の発展に伴い魂の不滅を許さない事態が起こってからは、人間はもっぱら、現在の生のみに焦点を当てる生き方を続けている。それ以上の考えを持つ場合は、自我の消滅を受け入れずに、生命自体の延長を遺伝子的に行おうとする動きもある(トランスヒューマニズムの運動)。「人間は死すべきもの」との宿命を受け入れず、永遠の命を求める動きである。人類が消滅するきっかけはこのような動きにあるのかもしれない。
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