外国人の受け入れについて、もっと準備をしておくこと

人口減少が年間50万人に達しようとする日本では、移民の増加は不可欠である。と言うよりも、何もしなかったら、移民は無秩序に増加する。この現象は、戦後ヨーロッパが経験した状態と似ている。そして、2015年に起こった、ヨーロッパへの難民の大量流入とも似ている。無秩序な移民の増加は、社会不安を招き、不安から生じる外国人排斥問題を起こす。例えば、犯罪の数自体は多くなくても、外国人が起こした犯罪は大きく取り上げられ、移民に反対する政党や団体の攻撃材料となる。この傾向が強くなると、一般市民の間にも警戒感が高まる。現在の延長線上で無秩序な移民が増加した後では、日本に移住した外国人は日本人の警戒心を感じて、自分たちで小さな集団を作ろうとするだろう。この集団化はなおさら市民の警戒感を高めるような悪循環に陥る。

ここで、移民の定義が日本と世界とでは異なることを指摘しなければならない。日本では移民とは「永住者」つまり、日本に永住権を持つ人を指しているが、世界一般的にはそうではなく、1年以上その国に滞在している人を指す。日本の現状では「永住者」はごく少数であり、「移民は入れない」と言えるかもしれないが、1年以上滞在する外国人は172万人(2020年10月)に及ぶ。そして、在日外国人は290万人(2020年6月)だ。この状態にも関わらず、政府は、建前として3年程度で母国へ帰る短期労働者は、移民ではないと言っている。

日本の、建前と本音を使い分けその場を取り繕う文化が政治において蔓延することは、覚悟を持って課題に対処する気力を低下させる。移民の問題は、経済的欲求によって引き起こされるが、その後は文化的問題に変化する。短期滞在を前提として始まった単純労働者の導入は、次第に滞在期間が長期化している。3年間の技能実習では、単純作業は代替えできるが、技術を覚えた人たちに、さらに長い間働いてもらうほうが合理的であることは確かである。従って、外国人労働力は日本にとって必要であり、移民の是非を論じなければならないが、その間にも労働力不足を補うために企業や事業所は外国人労働者を獲得しようとして、外国人労働者は増加の一途をたどり、滞在期間も長くなるのである。

いま必要なことは、移民の導入を宣言し、移民の導入に伴う文化的な問題を課題として取り上げ、それをすでに経験しているヨーロッパの反省に立ち、移民政策を上手にマネジメントすることだ。いや、マネジメントするということは誤解を生じるかもしれない。マネジメント以前に、基本的理念をしっかりと保つ必要があるだろう。その基本的理念とは、①どの程度の数の移民が必要で、②移住した外国人に日本でどのように生活して欲しいかについての考えである。①移民の数は、一定の限度のもとにコントロールしなければならない。現在は、年間20万人の増加であるが、それをどの程度に留めるか議論が必要だ。②どのように生活してほしいかについては、考え方に2つある。一つは多文化主義、2つ目は市民的統合あるいは同化主義である。

多文化主義の代表国はカナダと言われ、市民的統合あるいは同化主義の代表はアメリカである。何の原則もなく、外国人を移民として受け入れると、少数集団としての外国人は、言語、宗教、文化などによってまとまった集団が出来上がり、日本人とは異種の存在となる。異種の集団を異文化として、文化の多元化のもとに容認する事は日本ではできないだろう。日本では、多文化主義、つまり、言語や宗教、生活習慣が異なる集団と暮らすことは経験がないのである。移民先進国のヨーロッパを見ても、多文化主義は成立することが難しい。むしろ多文化主義のリベラル姿勢に対する一般市民からの反感のほうが強くなっている。

イスラム教は宗教以上に生活習慣を規定するので、西欧のリベラル的な価値観が脅かされる場合がある。例えば、女性の権利や性的少数者の権利を認めない、あるいは、宗教に対する批判を認めないこと、など反リベラルの姿勢を示された場合、多文化を容認することを理由にこれらの差別を認めることは出来ないだろう。

そうすると、外国からの移民に対して、その国に統合する政策が必要となる。統合の手段の第一は、言語である。コミュニケーションが難しい場合は、統合するプログラム自体を運営することすら難しい。その点において、日本では、統合のための言語教育(日本語教育)に対する公的支援は甚だ貧弱である。統合のためには、「日常生活がなんとか出来る程度の言語力」ではダメなのである。その国を理解するためには、高い言語能力が必要となる。移民の増加を受けて、ヨーロッパの失敗を繰り返さないためには、いたずらに外国からの移民を怖がるのでなく(怖がっても移民は流入してくる)、日本の風土に同化させる必要があるのだ。その為には、言語能力こそが大切だ。

ついで、統合すべき価値観はなんだろう。自由、平等、人権などの普遍的な価値観は、はたして日本で一般的なのだろうか。それは憲法に直接表されているが、その憲法の理解は日本で十分に行われているのだろうか。主権が国民にあることはもはや当然と思われるが、基本的人権の尊重については、その内容に対する理解が不十分だろう。一刻も早く、基本的人権の内容を把握し、それを外国からの移民に語ることが出来るようにしなければ、文化的統合は難しく、移民政策は失敗に終わるだろう。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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