IT業界は、企業の生産性向上のためと称し、IT機器の導入を勧めるが、事務作業の効率化によって生産性が向上する部分はわずかである。生産性の向上は本業に対して、でなければならない。本業とは、現場業務の事である。金融機関なら融資、預金、金融商品の販売、製造業は当然ながら製造工程について、飲食店なら店舗の効率化、介護であれば介護施設あるいは在宅サービスそのものである。その背後に位置する事務作業ではない。
製造業にしろ、サービス業にしろ、生産とは、次の様に表される。まず、生産要素として、労働投入量+資本投入量+中間投入財によって生産物が出来る。労働投入量は労働時間(労働者数)であり、資本投入量とは、建物、設備、生産のために要する機材などである。医療でいえば、労働投入量は、医療従事者(医師、看護師、リハ関係職員、放射線技師、検査技師など)と事務職員の総労働時間(それぞれの業務に関する時間の合計)で、資本投入量とは、病院の建物、設備、医療機器などである。中間投入財とは、医薬品、検査試薬などの診療に付随する材料として必要となるものだ。
そして、生産性とは、生産高/生産要素(労働投入量、資本投入量、中間投入財)がどの程度「変化」したかを示すものである。生産要素が一定で生産高が増えれば、生産性は向上し、その反対であれば、生産性は低下する。通常、企業が成長している時には、生産高の伸びが生産要素の伸びを上回っている場合が多く、生産性は高まる。反対に、企業が衰退している場合は、生産高の減少に対して生産要素の減少があまり見られないので、生産性が低下する。
生産高/労働投入量(労働時間あるいは労働者数)は、労働生産性と言われる。それに対して、生産高/生産要素(労働投入量、資本投入量、中間投入財)で表したものは、全要素生産性(TFP)と言われる。再度述べると、生産性はある期間の「変化」を表すものであり、固定的な数値ではない。生産性の検討は、各企業が行う本業に対して行われる必要がある。いわゆる人事や経理などの事務作業ではない。事務作業も効率化することは出来るがその額は本来の作業に比べ非常に少ない。事務作業はIT化に馴染みやすいが、その効果は少ない。
本業に対する労働生産性あるいは全要素生産性を高めようとすれば、作業工程を見直さなければならない。一定の生産物を得るための(あるいは一定のサービスを提供するための)労働時間を減少させることが、労働生産性を高めることだ。一方で、全要素生産性の立場からは、労働時間を減らすために機械を使う場合、その機械の価格が労務費よりも高い時には、労働生産性は上がるが、全要素生産性は上がらない。一般には、中間投入財を差し引くと、労働投入量と資本投入量の比率は、75対25と言われる(近年ではこの比率が資本側に寄っている=つまり、機械化によって生産性をあげようとする傾向が強い)。
生産性を問題とする場合、サービス業であれば、作業工程を見直すことの意味が大切だ。製造業とは異なり、サービス業では作業工程は比較的簡単で、その工程に機械化出来る余地は限られている。例えば、施設介護の場合、一人の人に介護を行う際に、監視情報は自動化することが出来るが、身体介護あるいは精神介護の部分は、工程自体を見直すことが難しい。従って、サービス業において、生産性を上げるためのフォーディズム(※1)やテイラー主義(※2)的な考えで作業工程を見直したからといって、生産性が上がるわけではない。その要素も少しは必要かもしれないが、生産性向上に関する寄与度は、製造業に比べ高いわけではない。むしろ問題とすべきは、生産の目的や生産自体の全システムだ。
大多数の国で生産性向上が見込めないと考えられている介護の場合、介護によって達成すべき目標や状態は何かと問うことが大切だ。それによって介護行為自体の選択が異なってくる。この部分は、多分、生産性から離れて、生き方自体が問題となる分野である。どの様な状態が高齢者本人にとって幸せなのか。自分自身の希望を実現することなのか、もしくは、子供や周囲の人の希望を優先するのか。依存的になって良いのか、あるいは、自律性を保つ必要があるのか、などである。これらが定義されなければ、生産性に関する目的やシステムが決められない。具体的には、老人施設の存在意義は?在宅サービスのシステムは?など根本の部分だ。従って、介護事業の場合、個々の事業者が生産性向上を目指すよりも、国全体の政策的な問題が生産性と直結しているのだ。
(※1)フォーディズム;アメリカのフォード・モーター社が、科学的管理法を応用して開発した生産システムのこと。フォード・モデルTの成功を受けて、1950年代から普及していった。その中心はベルトコンベアであり、コンベアの速度が生産能率を決める、という仕組みになっている。製品の単純化、部品の標準化などが特徴として挙げられる(ウィキペディア)。
(※2)テイラー主義; 20世紀初頭までのアメリカの経営は、経験や習慣などに基づいたその場しのぎ的な「成り行き経営」が一般的であって、統一的で一貫した管理がなされておらず、労働者にその皺寄せが回ることがあるなどの問題を抱えていた。テイラーは、管理についての客観的な基準を作る事で、こうした状況を打破して労使協調体制を構築し、その結果として生産性の増強や、労働者の賃金の上昇に繋がって、労使が共存共栄できると考えた。こうして科学的管理法が考え出されたのである(ウィキペディア)。
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