イスラム原理主義、キリスト教原理主義などは、一般の人から煙たがられ、融通が利かない、現実的でない、などの批判を受けている。原理主義は、宗教の場合を見てもわかるように、原理を前面に立て、それ以外との妥協を拒むように思われる。その反対に、原理なしの考えは、現在の日本のように、議論が出来ない、あるいはあえて行わないので、人々の考えを同じくすることが難しく、さらに、考えを進化させることが出来ない。原理は、理念と同じグループに属する。どちらも、一定の簡潔な内容で多くのことを表現するものである。もしも、理念はやさしく、原理は厳しいとの印象を持っているとすれば、それは、理念と呼べないものを理念として掲げているからだ。例えば、「平和な国を作りたい」という理念は、おそらくすべての人間が持っているものなので、現代ではことさら理念とは呼べるものではない。同様に、「高齢者の尊厳を守ること」さらには、「法規に違反しないこと」などはいずれも、それを実行する具体的、かつ特徴的な手段を掲げていない限り、全員が同意する事柄なので、理念とは言えない。
原理や理念は、ある人は同意するが、ある人は同意しないのが普通である。ある原理(理念)について、賛同するかどうかを問いかけ、多くの賛同を得るように多くの人に働きかけ、賛同された原理(理念)が確立すれば、それに沿った政策を行うことが出来る。ただ、原理(理念)が確立されていても、統治機構の能力が乏しければ、考えを実行に移すことが困難となる場合があることも確かである。例えば、会社においても、統治機構の能力が乏しい場合(組織構造や、意思決定の仕組み)には、考えが伝わりにくく、いくら良質な戦略を考えても、実行することが出来ない。これは、発展途上国にはよくある状態だ。
原理(理念)と現場の関係も整理する必要がある。現場においては、細々とした、いろいろの事象が起こる。この様な膨大な事象を、すべてマニュアルにて指示することは到底出来ない。多くの場合、マニュアルの狭間にあり、マニュアルに示されていない事象の方が多いので、それらは「暗黙知」的な経験によって処理されている。多くの日本の会社あるいは組織では、原理(理念)は抽象的で、何を言っているのか分からないことも多い。組織が提供する理念が浸透しにくくなると、現場の「暗黙知」的な経験は原理(理念)と関係なく、現場での効率を最優先にするように「合理的」方法が採用されるので、原理(理念)から外れる場合も多くなる。
反対に、原理(理念)が会社や組織で大きな位置を占める場合、あるいは強制される場合には(日本では少ないが)、現場でのもろもろの事象が、原理(理念)によって処理されなければならないので、「合理性」を欠く状態になる。現場では、取得すべき情報は膨大であり、それらの即座の解決も求められているので、「原理(理念)の通りにやってられない」場合も多いのである。従って、現場で行われる「合理的」な行動を取ろうとすれば、「合理性」と原理(理念)と相反するのではないか、との問題が生じる。
原理(理念)と、現場での「合理性」とが相反する場合、この乖離は放置されている場合が多い。「そうはいっても実際にはね・・・」となる。ここが問題だ。この様な乖離を防ぐためには、個別の事象(理念と現実とが乖離する問題)を取り上げ、その都度議論し、もし原理(理念)が通用しない場合があれば、「原理(理念)の変更や修正」を行う必要がある。たとえ、それが小さな一つの例で原理(理念)と相違する場合であっても、である。その反対に、原理(理念)が多少の現場不合理性をもたらしても、原理(理念)どおりに実行する価値があれば、あえて不合理なことを行う勇気を持つことも大切だ。
現場で発生する現象について、本部と現場は、この様な場合に対等の話し合いを行う必要がある。組織が大切にしている原理(理念)に基づいた、「戦略」的な行動を現場に促す場合には、現場主導でなく、現場「合理性」をも加味した、原理(理念)に基づく明確な指示が必要となる。
例えば、最近問題となっているコロナ禍での感染防止と経済活動の関係においての原理(理念)は、①感染防止を優先し、感染防止に支障がない場合は経済活動を考える。②感染防止と経済活動の両立を図る。③経済活度を優先しその範囲で感染防止に努力する。のいずれかである。②の場合を政府は原理(理念)としているようだが、その場合は、2つの原理(理念)が並列して、どちらが大切なのかが分からない。その結果、戦略が不明確となり、国民にとってよく分からないものとなるのだ。つまり、原理(理念)は①か③となる。この様に、原理(理念)は実際に使いこなさないと役には立たない。しかし、日本では、原理(理念)が曖昧な表現となり、使われず、床の間に置かれていることが多いのである。
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