コローナ国の物語-夢で見た日本によく似た国のお話-

これからお話しする物語は、2021年の年明け早々に夢の中で見た「ある国」のお話です。そこは、日本によく似た島国で、「コローナ国」と呼ばれていました・・・。


日本で2020年に起こっていたウイルス感染症と同じような感染症が、このコローナ国でも拡がり大騒ぎになっているというところからお話が始まります。興味深いことに、このウイルスによる感染症は、日本で起こっている感染症とほぼ同時進行で、国内で起こっている状況も酷似したものでした。

さて、このコローナ国では、ウイルスが他の地域から持ち込まれたものだとは判ったものの、最初のうちはどの程度に危険な感染症かわからないために、国が定める感染症対策法の中で2番目に厳しい対策レベルを発令したのだそうです。そして、その甲斐あってか、しばらくすると少しだけ鎮静化の兆しが見えてきたのでした。そうなると、発令された対策レベルが、感染者は症状に関わらず全員隔離することが求められるものであることから、結果的に経済活動も止めてしまうことになったということで、経済への影響が大きな問題になりました。そもそもは、どんな感染症かわからなかったために厳しく対処したのであり、それはそれで効果があって良かったものの、このままでは経済活動もままなりません。何より人民への負担が大きいこともあり、対策レベルを見直してはどうかという意見が出てくることになったのでした。

しかし、この意見に対して、メディアが反応します。この国では、情報機関のメディアの力が強く、国を司る政府よりも影響力を持っていました。そのために、メディアの、「厳しくしたことで効果が出たのだから、このままの対策レベルを維持すべきだ」という(何となく形作られた)主張のもとで、次第にその対策レベルに関する意見は無視されるようになっていったのでした。

コローナ国では、過去にもメディアが言うところの世論の「何となくそう思われる」という理由で、政府の決定に影響を及ぼすことがあるようでしたが、今回もその轍を踏むことになったようです。そして、少しだけの鎮静化の後、再び感染が拡大し始めたのです。

今度は、原因となったウイルスも変異を繰り返しており、感染力も強くなったものが主体でした。今回の変異株はコローナ国から少し離れた所で出現したのですが、早い時点でそうした情報があったにも関わらず、メディアにおもねった対応しかできない政府の怠慢で、他国のような素早い往来禁止の発令が遅れ、結果として侵入を許してしまったのでした。政府が往来禁止を発令したのは、残念ながら十分に変異株に感染した人たちがコローナ国に入った後の事だったといいます。そして、政府のトップは、自分たちの無為無策は棚に上げて、実効性を期待するべくもない「人民の自粛要請」を繰り返すという、これまでと同様の対応策を取っただけでした。

さて、こうした感染の再流行で、経済活動は大きな打撃を受け、人の往来も止められ、何より患者を受け入れる医療機関はパンク寸前の状態となりました。これは、日本では「医療の逼迫」とか「医療崩壊」と呼ぶレベルのものですが、同じ問題がこの国でも起こったのです。それに加えて、上品な日本とは違って感情を露にするお国柄のためか、感染者や患者に対するあからさまなバッシングが目立ち、メディアも感染者の名前や住所を毎日公表するものですから、転居を迫られたり自殺に追い込まれる人が続出して、社会問題化していきました。昨日は石を投げて非難していた人が、今日には感染者となり非難される側になってしまうということが至る所で繰り返され、中には潔く腹を召す人も出てくるという事態にまでなりました。こうなると、さすがにメディアも、「国としての秩序や人としての道徳が失われつつある」と、付け焼刃の綺麗ごとを言い出すものの、報道の姿勢は変わらないままだったといいます。

肝心の医療機関では、症状がなくても陽性と判定されれば入院処置が義務付けられているために、病床はすぐに一杯となり、通常の病気の治療ができないだけでなく、感染症で重症化した患者の治療も思うようにできなくなっていきました。献身的に治療にあたる医療従事者への感染も当たり前となり、その上で医療従事者への誹謗中傷、差別も当たり前のことになってきていました。そうなると、政府の対応の遅れから、金銭的援助も物的援助も足りない状況で、なにより精神的援助もないことから、個々の医療機関が自己防衛に走り始め、冷酷な「命のトリアージ」が了解事項として行われるようになったのです。

この時点から、治療に手間がかかると思われる患者や治療効果が少ないと判断された人たちは自宅に帰されることになり、さらなる感染者と死亡者の増加が起こるという悪循環が始まりました。もっとも、皮肉なことに、人民の犠牲のお陰で、国全体としての医療逼迫度は低下していきました。何とか医療崩壊を回避できたとメディアが評価し始めたことで、メディアに迎合する政府も胸をなでおろしたようです。

ところで、先の感染対策法の対策レベルの変更については、その後も医療関係の専門家を集めた会議で粘り強く検討されていました。そこでは、感染症の実態を科学的に解析したうえで、感染対策をレベルダウンしても大丈夫であり、そうすることで医療状況を改善でき、さらには経済活動も元に戻せるという提言がされていたようでした。

しかし、国や人民の事よりも自分の次の選挙の結果を第一に考える政府の議員たちは、いまさら対策レベルを緩めるように特別措置法を変更する提案などしたら、メディアに叩かれると恐れをなして、この問題を一切取り上げず、専門家会議の議事録も廃棄することにしたのでした。

そのため、コローナ国では、その国の時間の単位である新しい「年」になっても、なんの状況の変化もなく、相変わらず人民への自粛要請が続けられました。一方で、特権意識の強い政府の議員たちは、自粛もすることなく好き勝手に立ち振る舞って、彼らによる感染拡大が続けられるという矛盾が続いているというおかしな状況になっているのだそうです。

メデタシメデタシ、いや、コマッタコマッタ。


ここまで夢を見ていて、そのおかしな状況に腹が立って目が醒めたのですが、このコローナ国の将来が心配で、ただの夢の中でのお話といっていて良いのかと気になっています。お陰で、続きを見たいと思ってもなかなか寝付けないで困っています。

日本では、まさか「コローナ国」でのことが正夢とはならないと思いはしますが、反面教師にしなければならないのではないかと思い立ち、ここにご紹介した次第です。

クワバラクワバラ。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。地域に根差した医療を目指しています。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります 死なせ屋ゴンの終末期医療日誌」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、日本消化器内視鏡学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。地域に根差した医療を目指しています。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります 死なせ屋ゴンの終末期医療日誌」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、日本消化器内視鏡学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
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