インクルーシブ社会の実現を目指して-障害者権利条約の理念

皆さんは障害者権利条約をご存知ですか?
今回は、障害者の方の中にも知らない方が多くいるこの条約についてご紹介したいと思います。

今から75年前、第二次世界大戦が終結し二度と戦争を起こさないという誓いや反省を込めて、国連が作られました。国連は、強い者の意見が尊重され、弱い者の意見は排除されるという不平等な社会が戦争の原因と考え、1948年に『すべての人は平等であり、それぞれが同じ権利をもつ』とした世界人権宣言を行いました。

その後も、弱い者の権利を護る宣言が次々になされました。女子差別撤廃条約は1981年、子どもの権利条約は1990年に発効され、日本が批准したのがそれぞれ1985年、1994年でした。

障害者の権利についても1975年の12月9日に国連が障害者権利宣言を決議し、日本はこの日を障害者の日と定めています。そして、2006年には障害者権利条約を国連が発効して、日本は2013年に批准しました。

障害者権利条約を最初に考えたのはメキシコの障害当事者で、後に大統領候補にまでなりました。障害者権利条約を作ることを公約とし、残念ながら選挙には落選しましたが、ある程度の支持があり、当選したメキシコ大統領により障害者権利条約を作る公約が引き継がれたのです。

障害者権利条約は、障害者の教育、就労、居住、移動などへの差別は禁止されるなど、人としての当然の生きる権利について、50からなる条約で書かれていています。

努力義務と定められた「合理的配慮」

障害者権利条約では、障害があっても平等に活躍できる社会を目指すための権利を定めています。例えば、車椅子の人が入学や入社するときには段差をなくしたり、電車やバスも障害を理由に乗車拒否を行わないことです。これにより入学、入試、入社、入居拒否は基本的にできなくなりました。こういった障害者の差別をなくすための『合理的配慮』が義務化されましたが、日本にはそれに沿った法律がなかったため、すぐには条約が批准できませんでした。

その後まだまだ不十分ながら日本でできた法律が障害者差別解消法です。しかし、合理的配慮を義務化すべきところが、「努力義務」という骨抜きなものになってしまいました。合理的配慮とは、例えば、店に段差があり車椅子で中に入れない時の対処法としていくつか方法があります。人を呼んで車椅子を持ち上げる・スロープを置く・昇降機を設置するなどですが、車椅子一台のために昇降機を設置していたら費用がかかります。そこで合理的に考えて配慮を行いましょう、というのが合理的配慮というものです。しかし、たったそれだけの事が義務ではなく努力義務としか定められませんでした。ですので、私は障害者差別解消法はあまり意味がない法律になってしまった気がします。配慮とは人の思いやる気持ちであり、わざわざ法律があるから配慮するものでもないと思いますが、色んな障害があり見た目で障害者だと気付いてもらえない人にとっては、法律で決められた配慮しか受けれない場合もあるので必要な法律だとは思います。しかし、私は法律があっても人の想いは大切にして感謝の気持ちだけは忘れたくないと思っています。

社会と障害者がどう関わるかを考えるのも障害者権利条約の大きな役目で、日本はインクルーシブ教育や共生社会への取り組みが遅れていることも、批准までに7年もかかった原因の一つです。そしていまだに、障害者は施設や特別支援学校などで[障害者だけの社会やコミュニティで幸せに暮らせばいい]という考え方が多く、[障害者は護られる者・弱い者だけど、社会の一員として共に生きる・暮らす]という発想は乏しく、今も障害者は社会の一員にはなりきっていないような気がします。

障害者権利条約で何が変わったの?

前に書いた障害者も「病院や施設ではなく自宅や地域の中で暮らそう」という政策も、その是非は別として、この障害者権利条約の影響が凄く大きいと言えます。最近では身近なところで、たとえば学校で障害者を見かけませんか?

日本ではまだ発達障害などの軽度障害者が主ですが、障害者権利条約により障害者も一般学校と特別支援学校のどちらに行くかを選びやすくなりました。選択肢が増え、子どものころから健常者と障害者との壁がない事は良いことですが、実は弊害もあります。特別支援学校では軽度障害者は一般学校に通うので重度障害者しかいなくなり、活気がなくなり重度障害者にとっては環境が悪くなっているようです。私の母校である特別支援学校(昔の養護学校)では、昔は商業科、工業科、家庭科があり一般学校と同じように教科によって先生が変わっていましたが、今は学科もなくなり、教科は変わっても同じ先生が担当するようになりました。軽い障害の生徒がいなくなり、先生と一対一という状況で、友達同士で何かをする事も減ってきたようです。特別支援学校がまるで施設のように介護を受ける場になってきた状況を知り、卒業生としては空しいですが、条約を批准して7年、今が過渡期でこれから良い方向に向かっていくと期待しています。

「お好み焼き」のような社会を目指して

国連が様々な弱い者を護るために条約を締結して来た理由として、インクルーシブ[包含しているさま・ごちゃ混ぜ]社会の実現があります。女性、子ども、外国人、障害者などが混ざり合い尊重し合う、例えれば「お好み焼き」のような社会を目指しているのです。一人ひとりの個性が味わいとして社会の中で活かされる、それが理想です。そのためには、まず障害者が障害者権利条約のことを知ることが大事だと思います。

明治の時代は女性が山に登る事は何の根拠もなく禁止されましたが、今では山ガールが当たり前に登る時代で、部落差別も今では根絶に近い状況です。人が権利を主張するときは弱い立場の人・変わった人は差別されがちで、社会の理解が根付くまでは法の力が必要です。障害者権利条約は障害者と健常者とのバリア・壁をなくす大切な条約なので、ぜひたくさんの人に知って欲しいです。

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「夢を叶える145」ライター宮村孝博
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味、囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため部屋に引き篭もる
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