このOpinionsでは、高齢者医療から始まり、流れの中で徐々に「死」についても書かせて頂くことになっているわけですが、残念ながら、「世間一般の方々とは縁のない事なのだなあ」と思い知らされることがあります。
勿論、医者として一般の方々よりも「死」を、しかも「いろいろな死」を多く扱ってきていることから「現実の出来事」と感じてはいるものの、実際に自分で体験したことがないだけに、「本当にそうなのか」と尋ねられれば、「わかりません」と答えるしかないのが事実ではあります。
さて、いつものパターンで、他院での長年にわたる抗癌剤治療の末に、当院へ転院して来られた方がありました。当初は抗癌剤が効いていたようですが、そうした抗癌剤の効果が無くなれば新しい抗癌剤を試すという繰り返しで、その甲斐あって予想を超えて頑張ってこられていました。しかしながら、抗癌剤で治ることは望めないのが現実で、そうした繰り返しもネタ切れとなり、所謂緩和ケア中心の医療を行うために、お住まいの近くということで転院となって来られたのでした。
転院した時に初めてお会いすることになった患者さんは、抗癌剤疲れとでもいうのでしょうか、薬の副作用の為か、食欲はなく痩せていて、ベッドの上に横たわっているのも辛そうでした。一般的な薬では、効果発現と副作用発現の量的な差が大きく、それだけ安全に使えるのですが、抗癌剤ではその差が小さく、効果を期待する以上は副作用も覚悟の上となります。時には、副作用の方が先に出てくるが、それを承知の上で効果を期待する…という場合もあるのが実際のところです。まさに、肉を切らせて骨を断つといった感じでしょうか。
この患者さんについても、当院へ転院した後の検査でも癌は消えておらず、己の存在を主張し続けているように見えましたが、これからは共存を目指すか無視することで、残りの時間を患者さんらしく生きて頂くことが目標となります。
まずは、好きなものを食べて頂けるようにと考え、痛みなどの嫌な症状を抑えつつ、点滴で水分補給を行い、食事の内容を増やしていく事になりました。転院後数日が経った頃には、その甲斐あって、次第に体力も回復して来られていました。
そんなある日、部屋を訪れると、ベッドの上で寛いだ様子で雑誌を読んでおられました。私が、「だいぶ元気になりましたね」と声を掛けると、「はい、しっかりしてきました」と病気のことなど忘れたかのように笑顔で応え、手にしていた雑誌を床頭台に置かれました。
その雑誌の表紙の大きな赤い文字に引かれて目をやると、そこには「病気にならない健康法情報の真実」と特集記事の表題が大きく書かれていたのです。その表題から、内容については粗方察しが尽きはしましたが、それ以上に、そうした本がこの部屋にあることへの違和感を持つことになりました。
正直に言えば、(まさか、これまでを振り返る参考にしているとも思えず)今更、という気持ちが湧いたことは事実です。しかし、人とは、いくら病名や予後(予想される今後の経過や予測される残された時間)を告知されていようと、辛い現実を引きずりながらも、「今」、「その時」を、そして少しだけの「未来」を生きているのだと気づかされました。そのうえで、人にとっては概念としての「死」はあるにせよ、人は死の寸前まで生きることのみを考えるものなのだろうと、改めて確認させられた気がしています。
確かに、死にゆく患者さんの枕元での経験でも、最期の確認のために瞼を上げて瞳孔に光を当てる時、開きかけた瞳孔ではあっても、「目が合った」気がしてドキッとすることもあるわけで、「今、この瞬間まで生きているよ」と言っていたのではないかと感じることもあるものです。人は死ぬ直前まで生に執着するものであり、またそれが人として生きることの本質ではないでしょうか。
ここまで考えてくると、「死」などは考えずに、ひたすら生きることだけを考えていけたらどんなに気が楽な事か(医者でない一般の方は、普通にはそうでしょうね)。結局は、「死」の大半は遺された者たちにとっての問題で、当の死して逝くものにとっては、黄泉の国への里帰りということでしょうから、「死」について、ここで論じていることさえ、無駄というか無理があることのように思えてきてしまいます。
こうなると、歴史の中で数多の哲学者や宗教家たちが考え尽くしたはずの「死生論」も、結局の所、実際には体験したことのない空論に思えてきます。詰まるところ、「死」とは季節の移ろいと同じレベルで当たり前に来るものであり、難しく考える必要はないということになるのではないでしょうか。そして、その上で、「死」というものは、人間すべてに共通に訪れるものではあるけれども、全ての人に同じものではなく、一人一人の個人的な問題と考える方が良いのかもしれません。
さあ皆さん、悩むのは止めにして、好きなことに邁進しましょうか(と言ってしまうと書くネタがなくなるなぁ…)。
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