用具や社会の力で障害をカバーする時代

私が幼い頃は障害者は障害を克服しないと社会に出られないという時代で、この頃のテレビでも障害を克服し頑張る障害者が取り上げられていた事もあり、無駄とわかりつつ頑張る事が当たり前の時代でした。21世紀になって介護保険ができ、障害やそれに伴う介護は「本人や家族の責任」ではなく「社会全体で担う」という考え方がようやく広まってきました。

この頃から障害者の制度になった、介護保険にはない重度訪問介護や移動支援、日常生活用具給付について紹介したいと思います。

重度訪問介護

介護保険は主な対象者が高齢者のためか、「護る」という意識が強いものです。私は生まれつきの障害者で別に護られたいわけではないのですが、できない事は助けてほしいと思っています。障害者の制度でもそれが反映され、私の主観ですが「護る」というより「助ける」という意識が強いです。

重度訪問介護は2006年から始まった制度で、最初は対象者が身体障害者だけでしたが、その後2014年に、かなり重度な方に限られつつも精神や知的障害者にも対象者が広げられました。名前は介護と付きますが介助・支えてもらう制度で、それが介護保険サービスとの違いです。市町村にもよりますが、必要と認められれば24時間・365日ホームヘルパーに自宅に来てもらうことができ、ヘルパーも研修を受ければ胃ろうや吸痰ができるため、医療ケアが必要なために病院から一歩も出られなかった障害者や、家族が介護できなくなった障害者には欠かせない制度です。

国際的には自らの給付金で職員を雇用できる個別化給付も増えてきています。日本には現在、個別化給付にもとづく国の制度はないですが、重度訪問介護が個別化給付によるサービスにもっとも近い形であるといえます。

ただし、重度訪問介護は仕事中の介助や通勤通学では使えません。このような事実は最近令和新撰組から二人も車椅子の国会議員が当選したことで多少社会に伝わったかもしれませんが、知らない方がほとんどだったのではないでしょうか。

障害者権利条約の第19条(一般的意見第五号)には障害者の地域生活を推進すべきである事が明記され、条約批准国に施設閉鎖期限を含めた脱施設化計画を実施する事を要請しています。さらに、どこで誰と住み、どのように余暇を楽しみ、どのような人間関係を形成するのかを自ら決められること、また地域の人々と関わり、地域のさまざまな資源を活用しながら生活することを保障され、障害のない人と同じ「普通の生活」をする権利を有することが明記されています。この条約に則るならば、障害者がどこで住もうが行政は暮らせるだけのサービス提供をしなければなりませんが、実際には重度障害者が在宅で暮らそうとすると、重度訪問介護が24時間・365日認められる市町村もあれば、私が住んでる市のように重度訪問介護があまり使えないために施設に行かないと生きていけない地域もあり、地域格差があるのが実態です。

移動支援、日常生活用具給付等事業

重度訪問介護は重度障害者しか使えない制度ですが、私のように母が(足に障害はありますが)元気という場合は、短時間の間ヘルパーに来てもらえる居宅介護や移動支援という制度があり、自分に合った制度を使って暮らしています。

移動支援は1974年に視覚障害者が対象の制度として始まり、その後、2003年に移動が困難な、身体・精神・知的障害者に対象者が広がりました。移動支援も重度訪問介護と同じで仕事中の移動介助や通勤通学では使えない市町村がほとんどですが、買い物、旅行、映画館などへの移動のときにはヘルパーが介助してくれるので、移動が困難な障害者が外出する際には欠かせない制度です。

ただ、この制度も市町村によって地域格差があり、車を運転していても松葉杖を使っていたら移動支援が出たり、車椅子に乗っているけれど移動支援が出なかったりと、市町村の障害者に対する考え方で障害者の暮らしが左右される結果となっており、障害者権利条約の第19条はどこに行ったの?と思ってしまいます。

とは言え、障害が軽度でも重度でも支えてくれる制度が心強いのは間違いありません。私は移動支援を使い出かけており、ヘルパーさんや支えてくれる人たちの力を借りることで車椅子でも電車やバスに乗れるようになりました(最近はコロナで自粛していますが)。

それに、日常生活用具給付等事業という制度もあります。車椅子(電動車椅子も)やベッド、そして私が文章を書くために使用している、瞬きや呼吸や指のわずかな動きでも文字入力ができる「伝の心」も給付の対象です。

重度障害者が「自分らしく」生きるために

このような様々な制度を活用しながら、旅行や買い物に行き色んな人と出会い、色んな感情に触れながら、人としては当たり前のようだけれど、昔の重度障害者にとっては難しかった、障害のない人と同じ「普通の生活」をする事ができています。

いつかはどんなに重度障害者でも社会の一員として活躍ができる時代が来るかもしれません。ただ、今の社会では施設で暮らしている重度障害者にはこんな情報は届きにくく、また、施設から一時帰宅する時は日常生活用具給付は使えるけれど、移動支援や重度訪問介護は退所して在宅生活に戻らないと使えないなど、制度はまだまだ浸透してなくて格差だらけですが、重度障害者が色んな制度や用具を利用して、たとえ人の力を借りてでも、自分らしく精一杯生きる事が大切だと思います。

でも今は人の力を借りる行為が新型コロナウイルスを広めてしまうので、毎日気持ちの中で葛藤があります。障害者が自分らしく精一杯生きるためには人との接触がないと無理だということを改めて実感するとともに、これからは介助者や家族の安全を意識しながら生きていく時代になっていくのだろうと感じています。

「夢を叶える145」ライター宮村孝博
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味、囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため部屋に引き篭もる
1974年10月22日 誕生
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