企業の救済と個人への補償が異なること

今回の新型コロナウイルスの感染は、1910年代のいわゆるインフルエンザ、スペインかぜ以来の大規模なパンデミックである。危機的状況では、ウイルスの拡散を防ぐ医学的、免疫学的対策と同時に、経済的対策も必要である。経済的対策を大規模に行う場合、最も重要なことは、どの様な方針で社会(個人や企業)を救済するのか、その論理的な考え方である。経済的対策とは金銭的支援のことなので、大衆迎合的になると、多くの国民が対象となり、支援対象は広範囲に及ぶ。今回のように国民全体に10万円の給付を行うようになれば、資金量も莫大になる。莫大な資金を、単なる「気の毒である」感情で使うようでは、経済的対策を継続的に実施することはできない。

そこで、流動性を与える方法(貸付が主体となる)と、給付による方法を軸として、どの様に経済的対策を行うのかについての論理的な考えをまとめてみよう。ポイントは、所得の補償を必要とするのは、個人であり、企業ではないことを明確にすることだ。企業の存続は救済の絶対的な必要条件ではない。それに対して、国家の役割として、危機に陥っている個人は、救済の絶対的な対象となる。つまり、企業の生死は絶対的な条件とはならないが、個人の生死は救済の絶対的条件となる。蓄えがなく、収入も途絶えている人に対する救済は絶対的であるが、蓄えもなく、収入が途絶えた企業に対しての救済は、必ずしも絶対的なものではない(間接的に国家経済の活性化を行う、いわゆる経済刺激策かどうかの判断は残る)。

ただし個人とは、経営者を含む意味である。特に、小規模の企業は個人との区別があいまいであり、一体的にならざるを得ない。例えば、月商100万円の小規模店について、一人でやっている場合、経営者本人の取り分が40万円、材料費が30万円、その他費用が20万円(家賃、燃料費など)、利益が10万円の場合、補償すべきは、経営者本人の給与とも言える40万円に対してのみとなる。仮に売上が半分になれば(50万円の売上に対して材料費が半分の15万円、その他費用が同じ20万円であれば、残りが15万円になるが)、もともとの40万円の個人所得が、経費を支払った残りをすべて取得しても15万円に減少したことのみを問題とする。企業としての赤字か黒字かは考慮しない。もとの経営者本人の収入40万円に対して売上が減少し、経営者本人の取り分が15円万になった場合、個人補償の対象となるかどうかである。元の給与の80%を補償する場合、40万円に対して32万円を保証するので、所得の減少部分(32万円-15万円)の17万円を給付することになる(この場合、一回の給付でなく継続的に行う)。

もう少し規模が大きく、月商300万円の場合、経営者の給与50万円、同じく妻30万円、従業員給与70万円、材料費90万円、家賃、燃料費30万円、減価償却費20万円、利益が10万円の構成だった場合、売上が150万に減ると、必要な支払いが、従業員給与70万(給与を据え置く場合)、家賃等30万、材料費が半分の45万となるので、合計145万円だ。夫婦の手元にはいろいろの費用を支払った後に5万円が残る。以前とは取り分が大幅に減少している。企業に補助を行うのではなく、個人に対して以前の収入の一定割合、もとの給与の80%を保証するとなれば、経営者にはもとの50万円に対して40万円、妻にはもとの30万円に対して24万円を補償給付することになる。この夫婦に対しての必要な給付金は、64万円から残った取得分5万円を差し引き、59万円となる。企業を存続するための資金は給付しない。

では、企業に対してはどの様な援助を行うべきだろうか。企業に対しては、当面の給付は行わず流動性(貸付を主体とする)を提供すべきだ。流動性の提供と給付の違いは、流動性(貸付を主体とする)の提供は即座に実行することが出来るが、給付は一律に行わない限り、給付金額の決定や、不正の点検をしなければならないので、必然的に時間を要することである(そのため今回のような一律10万円給付などということになる)。

給付と違い貸付は、速やかに実行できることが強みである。流動性(貸付を主体とする)を直ちに提供した後に、一定の期間を経て、企業に対して一定の基準を設け、経済的復興を行うために、貸付のうちから一定額の給付を行うかどうかを決める。この様に、流動性(貸付を主体とする)提供と、個人の給与補償とを明確に分離し、実行しなければならない。

流動性(貸付を主体とする)の提供を行う場合、世の中全体が「安心・安全」の過度の重視に傾いていることと同じ様に、経営上の行き詰まりに遭遇している金融機関も、融資についての「安心・安全」重視の傾向がある。金融機関の安全重視は、企業にとって融資を受けられないことを意味する。コロナ禍での企業に対する原則を重視するためには、金融機関の態度を変化させる必要があるだろう。それは、金融機関に対する規制の緩和で行うか、あるいは、実質的な保障で行うか(融資の焦げ付きを正当な融資なら、政府が補填する仕組み)についての取り決めが必要だ。

経済的支援を迅速に大規模に行うときには、そのやり方について、哲学的、倫理的な基準をまず示すことが必要となる。当然のその基準に対しての賛否についての議論は必要だ。その場合、多分その議論は、企業に対する貸し付けた資金の返済をすべて要求するのか、あるいは、一定額を給付するのか(一定の規模があれば資本提供でもよい)についての賛否となるだろう。また、個人に対する給付の上限や、前年の所得に対する給付の割合(50%にするのか80%にするのかなど)も議論となるだろうが、この議論はあまり深刻な問題とはならないだろう。むしろ、問題となるのは、前年の所得の補足が出来るかどうかなのである。この点で、日本の場合、税務申告とマイナンバーが結びついていないので、前年の所得が即座に個人ごとに出てくるデジタル的な仕組みを作っておく必要があったのだ。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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