自粛要請で見えてきた日本人の本性

今回の新型コロナウイルス問題では、日本国政府の対応と諸外国との対応に大きな違いがみられ、世界的にも話題になっているようです。そして、最近では、当初は非難さえ受けていた日本のやり方で、感染者数(実際よりは少ないとは言われています)や死亡者数(これは大きく違ってはいないでしょう)が、他の国に比べて驚くほどに少ないことが、評価されようとしてきています。これらの数の違いを生んだベースには、各国の国民性もあるでしょうし(それを民度の高低に置き換えるのは早計でしょう)、ウイルスのタイプの違いも関係しているかもしれませんが、過去から現在までの国と国民との歴史的なかかわり方にも大いに関係していると思われます。

今回、諸外国では最悪を考えてできるだけ広く厳しい規制を先行させました。と同時に、日本からすると高額かつ速やかな休業補償がなされました。特にフランスではその動きが早かったようですが、知人がその理由を「人民が国王の首をはねて革命を起こす国だからね」と解説してくれました(ふむふむ、然もありなん。フランスの方がおられたらスミマセン)。また、英国やお隣のアイルランドでも、国が休業要請(命令ではなかったと思います)をすると同時に、仕事を失う労働者への手厚い保障がなされたようです。

翻って、日本では、状況を観ながらとはいえ(オリンピック・パラリンピックの開催に対する配慮やアジアの大国から要人を迎える計画があったとはいえ、あまりに日和見過ぎた感じは否めません)、徐々に規制を広げてゆく手法でした。そして、休業も「要請」ということで、法的には制限や、強制力はないもので行われました。(これも、ずいぶん遅れてなされはしましたが)まるで金銭的補償をしないで済むように考えてなされたように見えたのは、私の曇った眼のせいだったのでしょうか。これは、やはり、わが国の太平洋戦争時代の国のやり方へのトラウマが、国というか行政側と国民側の中に根深いシコリとなって残っているということからなのでしょうか。個人的には、こうした機会に、憲法も含めて法の改正やしかるべき整備をすべきだ(変えるか変えないかの議論さえしないのは不自然です)と思うのですがいかがでしょうか。

そして、繰り返しますが、そうしたある意味生ぬるい手法で、日本では(正確な感染者数がわからないとはいうものの)顕在化した感染者数を他国に比べてずいぶん少なく抑えることに成功し、死者の数も桁違いに低く抑えることに成功しました。結局は、日本人は従順で辛抱強く、徒党を組むことが苦手な民族なのかもしれませんし(江戸時代、正当な理由でも一揆を起こせば死刑でした)、政府もそれを見透かして、小出しの規制、しかも国民は耐えるものと考えてか(今も徳川時代が続いている?!)、補償は最小限に抑えることに成功しています。おそらく、いったん沈静化がなされた時点で、検証なり討論がなされるでしょうが、個人的にはそれ自体なされないか、それこそ公文書としての記録は残されず、また元の木阿弥となるのだろうと(情けないですが)予想しています。

5月26日のニュースでは、5月25日にWHOのテドロス事務局長が、日本の対策を「成功」と評価したとありました。一方で、欧米のメディアは日本の感染抑制が成功した理由は「不明」と伝えているとありましたが、改めて極東の不思議な国として歴史に名を残すのでしょうか。


さて、今回の問題では、国民は従順で辛抱強いと書きましたが、その反動とでも言った行動が「自粛警察」という輩の出現でした。いつの時代も、魔女狩りのように誤った、偏りのある正義を振りかざし、リンチを行う集団が現れるようですが、国としての統一性や、強いリーダーシップがない時には、各地で自分たちが統制していくという勝手な思い込みというか誤ったリーダーシップの発露となるようです。5月26日の天声人語(朝日新聞朝刊)に、この自粛警察を醜悪と呼んでありましたが、それでもなお「警察国家」の醜悪さよりはましだとも書いてありました。ただ、個人的には、醜悪さを比較することに意味はないと思うのですが、そうやって小さい(?)醜悪さを許容していくのだとすると、反社会的なことを是認する愚を犯すことになるのではないでしょうか。


ところで、5月中旬から順次、緊急事態宣言が解除され、5月25日には全国すべての都道府県での解除が宣言されましたが、すでに「新しい生活様式」が提唱され、これまでのパンデミックと同様に、今後は生活スタイルの変更を余儀なくされています。私が不思議に感じたのは、規制解除後も県境を越えての移動自粛が続いたことでしたが、まさか群雄割拠の戦国時代ではあるまいし、県境を越えて入ってきたものへの嫌がらせや差別が行われるとは、誠に情けない事ではありました。

5月中旬に三重県は規制を解除されましたが、私の住む市の隣にある伊賀市は、滋賀県や奈良県とも接しており、その県境に住む方々は県境など意識しないで同じ生活圏として行き来しながら生活しておられます。たまたま、住むところで車のナンバープレートの表記が違うわけですが、それをもって部外者としての嫌がらせがなされるとは、誠に理不尽かつ情けない事ではあります。そして、期せずして行政による指導がそれを助長する結果となったのではないかと考えています。伊賀市では、そうした県境を越えた同じ生活圏で移動する方々に「圏域証」なるものを渡し、車のフロントに貼るようにしたと言いますが、実質的な嫌がらせを防ぐための方策と理解はできても、やはり、なにかおかしくはないかと感じるのは私だけなのでしょうか。この発想は、詰まるところ、世界中で起こっている国境紛争と同じことで、手に持つ武器の大きさや種類の違いだけのように思うのですが、そこまで言うと大袈裟すぎるのでしょうか。

さて、今回のコロナ騒動では、思うところを書き連ね、寄稿してきましたが、書いていて思うことは、ネガティブなことばかりでポジティブなことがあまりなかったという悲しい想いです。国のトップが言う言葉に、おそらく私だけではなく多数の国民が信を置けず、「このことには裏がある」、「ああいいながら、現場は何も変わらない」と思わせるこの国は、一体どこへ向かっているのだろうかという恐怖感を覚えざるを得ません。

これから梅雨に入り、いったん沈静化するでしょうが、秋から冬には、今度は南半球から第2波が襲ってくると考えられ、当院でもいろいろな感染対策グッズの備蓄を考えています。おそらく、(予言しておきますが)国は、国民の関心を別の所へと向け、責任問題はないがしろにされ、また第2波が来たら、少しの間をおいて再び規制にかかるでしょう。その時もまた、今回と同じことが繰り返されて・・・。

そろそろ書いていて嫌になり、疲れてきましたので、終わりにします。

皆さん、静々と感染対策を続けていきましょう!

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
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