アセモグル等の仮説は下図のようなものだ。
「万人の万人に対する闘争」により、リヴァイアサン(国家)が登場してきた後、個々の地域により、また、時代と共に、統治形態は変化する。それは、国家と社会との競合(赤の女王効果)によって決定する。その結果、力の均衡した状態「足枷(あしかせ)のリヴァイアサン-一定の制約を受けた国家」に収束が出来れば良いだろう、とする考えだ。
これを日本に適応すると、どの様になるだろうか?
日本は、伝統的に社会の力が強い(軍部が独裁的権力を持っていた、昭和初期のみは例外)。日本での社会の力とは、どちらかと言えば自由を求める民衆の力でなく、世論も含めた社会的慣習の力を指している。しかし、日本ではインドのように、理不尽な階級制度が有るわけではない(無いわけではないが潜在化している)。社会の慣習は、古来からではなく、新しく出来上がることもある。
特に最近目立つ社会的慣習は、ネットを使った非公式な社会監視である。個人も、世間からどのように見られているかについて、過度に敏感になる傾向だ。社会から疎外されると、個人の生活に大きな影響が及ぶが、最近の状況は、明らかに疎外されるのでなく、社会からの視線を過度に気にする結果、「〇〇のような気がする」のように敏感になることだ。
このように、日本では有形、無形の社会の力が強いので、国家の力は相対的に弱くなるのだ(弱くても許される)。
集団の意思決定は、集団の合意を作るための議論を必要とする。従って、リーダーの権限はさほど強くない場合は、いわゆる「決められない政治」となり、その場その場の世論の動向によって政治が左右されるのが普通である。
社会慣習が強い状態は、一定の路線を保ち、その路線を忠実に走ることは得意だが、路線を変えることが苦手になる。
世界は常に変化している。その中で生きていくには、変化に応じて自分の路線をも変えなければならない。集団が路線を変えるためには、だれかの命令ではなく、常に議論をして変化するのが理想的である。個人が自分の考えを述べ、議論してその結果、だれかの意見を採用する過程が重要であるが、個人が社会からどのように見られているかを過度に気にすると、正当な意見を言うことが難しくなる。議論をすることと路線を変えることは共存しなければならない。しかし、議論をしながら路線を変えることは、議論の成熟さが必要となる。
自分の意見を論理的に説明する力と、それを理解し反論する力が必要だ。議論の技術と言ってもよい。このような力は急に出来上がるものではない。常に訓練することが大切だ(特に幼少期の訓練が必要だ)。
議論を経て変化することが不得意な場合は、現場に丸投げし、現場の意向によって執り行うことを選択するか、その反対に独裁的に上から決めるようになる。
現場に丸投げする場合、人々への規制は、通常「自粛」の形を取り、あくまでも要請の形を取る。従って、「自粛」の場合は、前もってどの程度の規制を行うのか、罰則はどのするのか、などを考える必要はない。日本での自粛要請は、ほとんどの場合において通用する。驚くべきことだ。例外的に要請に応じない場合は、社会から白い目で見られ、事実、大きな不利益を被る。従って、前もって規制の内容を議論することがあまりなく、細部は決められていない。
このような習慣は、統治能力を高めることを必要としない。統治能力を高める機会がないと、リーダーは尚(なお)更社会に頼るようになる。この場合の社会は「世論」の形をとるだろう。
日本が路線を変えたのは、「外圧」だけであると言われる。明治維新の諸外国、太平洋戦争後のアメリカが示したように、外圧は大きな力となる。石油ショック、円高なども外圧の一種である。それに対して、外圧の無いリーマンショックに対する対応の場合、最も影響が少ないといわれた日本が最も長くその影響を受けた。同様に外圧のない消費税の引き上げの場合も、多くの国に比べその影響が最も長く続いている。外圧がさほどない場合は、自分自身で路線を決めないといけないが、その場合に日本は弱点を露呈する。
赤の女王仮説に言う、「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」のように、民主的に議論を行って全力で進化することが、日本は不得意なのである。
※自由の命運 上、下: 国家、社会、そして狭い回廊 早川書房
ダロン アセモグル、ジェイムズ A ロビンソン (著) 稲葉 振一郎、櫻井 祐子 (翻訳)
ジョワキンの記事を見る
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
芦田 航大の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る