今、蔓延している「自粛」について考えてみる。

「自粛」の意味を辞書で引くと、「自分から進んで、行いや態度を慎むこと」とある。例えば、「過度な商戦を自粛する」という風に…。値引き合戦が続くと、相手と共に自分の方も傷を負うので、適当な時期に商戦を「自粛する」のだ。この場合、相手から「自粛」して下さいと言われると、はて? と考えてしまう。


学校で不祥事が起きて、スポーツの大会への参加を「自粛する」こともよく行われている。当の運動部以外の不祥事と運動部が大会へ参加することは直接関係ない出来事であっても、「自粛」する場合がある。この様な場合は、自分から進んで行うのではなく、見えないか見えるかは別にして、一定の圧力があるのだろうと思える。自主的ではなく、外部からの強制と言ってもよい。

 

新型コロナ感染症によっての「自粛」は、「自粛する」内容が予め決められている。当然ながら外部からの強制に近い。強制であれば、それなりに政令や法律を作り強制するか、もともと知事などが一定の許認可権限を持っているなら、その権限を最大限に活用して命令すれば良さそうなものだ。それらをしないで「自粛」に頼るのはなぜだろうか? その理由は「簡単」な上に効果もあるから、に他ならない。

一般に物事を決める際に、すべての人がすべての事に精通し賛否を判断できることは有り得ない。それを通常は決めた後に、執行者の運用で補っている。少し融通を働かせて、常識の範囲内で変化をつけるのだ。しかし、それを詳細に文章化すると、文字の持つ魔力によって(文字は世界を区分してしまう)、出来ることと出来ないことが明らかになる。この意見の差異を解消するには議論によるしかないが、その議論には大きな労力を必要とする。その場で決まりを作るにしても、予め決まりを作っておくにしても、同様に労力を要するのだ。

日常的な集会においても(町内会など)、自分たちの利害に関する決まりを作る場合、内容を真剣に議論すると長い時間を要する。決まりを作るための議論は、一定の基準を作るために行うが、決定したことに対する例外は常に存在する。それが非常にまれな場合でも例外は一定量あるのだ。


例えば、子供の遊び場を確保する意味で、町内の私有道路を一定の時間帯を通行禁止にする場合、例外は幾らでもある。救急の場合はまだしも、必要な急用もある。希少な例外を上げるとキリがない。例外なく禁止するか、一定の条件を付けて禁止するか、その条件とはどのようなものか、あるいは禁止することをやめるのか、なども議論によって決定されなければならない。その上、この様な一見無駄な議論をすることによって、内容が明らかになり、さらには、多数決で決めるべきものと、長い時間をかけて議論すべきものとの区別も出てくる。面倒だから議論を省略すると、いつまでも議論の「技術」が向上しない。

 

まして、「自粛」に従わない場合には、何らかの措置を取るというのでは、「自粛」の定義である、「自分から進んで、行いや態度を慎むこと」の意味解釈に合わない。従って、「自粛」でなく、物事を決める場合、次のような手順で行うべきであろう。

まず、原理原則を決めること、そして、大きな項目は予め議論をすること。議論をして決まりを作ること(例えそれに時間をかけたとしても)。決まりにない詳細は、現場責任者の権限で執行すること。この様な順序こそが決まりを作り、それを実行するための要件だ。

大切なことは、利害が相反する者同士が、議論が出来るかどうかである。その議論は、一種の「技術」なので、急にしろと言われても出来ない。日頃から、「なんとなく」ではなく、「自粛」でもなく、常に議論を行い、長い間の訓練によって初めて議論を経た決定をすることが出来るのだ。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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