見えなかった差別や偏見~「相模原津久井やまゆり園事件」から3年

障害者45人が殺傷された津久井やまゆり園の事件からもう3年も経つのですね。

 

初公判を前に、一部の被害者が一人を除いて匿名での裁判を望んだため、被害者の一部の氏名が匿名で行われます。これを聞くとまだまだ障害者への差別や偏見が残っているようで、堂々と名前が出せる時代が来るのだろうか?と残念に思います。

この「津久井やまゆり園事件」を通じて、見えない障害者への差別や偏見が見えて来た気がします。

 

この事件での被害者の多くは重度心身障害者だったのですが、重度心身障害者の友人を多く持っている立場の私から、重度心身障害者とはどのような人たちなのかを紹介します。

私の障害は重いのですが、自分の意思を伝えることは出来ます。この「自分の意思を伝えることが出来るかどうか」で状況が大きく異なるように思います。重度心身障害者は自分の意思を伝えることが困難です。もし私の友達に重度心身障害者がいなかったら、自ら障害者である私でも、重度心身障害者には自分の意思は存在しないと思い込んでいたかもしれません。

 

実際は意思が無いのではなくて伝えることが出来ないだけなのです。

 

ある講座で[はながゆく]という重度心身障害者のはなさんの暮らしを記録したDVDを見る機会がありました。はなさんは自分の意思を伝えることが難しい方ですが、重度訪問介護制度を使ってヘルパーさんの力を借りて一人暮らしをされています。はなさんは、はなさんと同じ重度障害者の方とコミュニケーションをするためにはどうすればいいか?を考えるために、大学の授業に講師として呼ばれたり、車椅子に企業名が記載された広告を貼って、宣伝料をもらっています。時には幼稚園の先生として子供と一緒に遊んだり働いたり、積極的に社会とかかわっています。このような様子を見て、一見はなさんに自分の意思があるかどうかは分からないけれど、きっと意思があると信じて介助してくれるヘルパーさんがはなさんの思いを想像しながら介助してくれるだけで、重度心身障害者でも施設や病院に行かなくても、社会の中で自分の役割を持って暮らせるのだなぁ、と思いました。

 

重度心身障害者の場合、長い時間をかけて向き合えば、表情や体のわずかな動きなどで(何を考えているか?)を想像して介助が出来るようになる場合もあるらしいです。しかし、現状はそこまでの時間的な余裕が無く、そのような介助者に恵まれるのは奇跡的で、しかも重度心身障害者が社会の中で役割を持って暮らすためには、このような介助者が欠かせないのが現状です。

 

私自身、重度心身障害者の友人を学生時代から何人も見て来ましたし、施設に通っていて重度心身障害者が当たり前に周りにいるので、一見分からなくても意思があることには何気に気付いてはいましたが、社会参加をしたいなどの深い意思があるかは(人によって違いますが)今だに不明です。でも、「この人にも深い意思がある」と思って接しないと、重度心身障害者は社会の中での活躍が難しいと思います。

 

重度心身障害者を健常者の物差しで見ると[可哀相な人、何も出来ない人、不幸な人]こんな見方をするでしょう。でも、重度心身障害者には、人を明るくしたり呼び寄せたり元気を与えたりする力があります。このような物差しでみると重度心身障碍者も[幸福な人、元気をくれる人、明るい人]になります。ものの見方を変えれば重度心身障害者も健常者とさほど変わらないのに、何も知らずに障害だけを見ると何も出来ない人と思われてしまうのです。このような人たちが被害に遭われ、今の日本は被害者なのに差別や偏見の影響で、名前も出せない。[何が共生社会だ!何がノーマライゼーションだ!何がユニバーサルデザインだ!]と思ってしまいます。

 

また、津久井やまゆり園の事件で、昔の入所施設は差別や偏見の影響で人里離れた山奥にしか施設が建てられなかったことが、映像からも伝わってきます。今世紀に入って20年が経ち、時代はITからAIへと変わろうとしている中、障害者への差別や偏見は今もあり、グループホームを街中に建てようとすると、反対運動が起きたりしています。表面上の差別や偏見は色んな法律や制度により解消されて来たけれど、根源である,人の心の中にある差別や偏見は、昔とさほど変わってないような気がします。

 

人々の心の中にある障害者への差別や偏見は優生思想が大きいですが、動物だと強い者が生き残る進化論的な思想が当たり前ですが、人には理性や感情があるので、ある程度は優生思想を抑えられます。しかし、何かをきっかけに自分が弱い立場に立つと優生思想が出て来て差別や偏見へと繋がることは進化論が生まれたイギリスを見ると分かります。

 

イギリスは進化論が生まれ障害者への差別や偏見が強く、1920年代には障害者を減らすために、精神障害者が子供を産めなくする政策がとられました。その後、戦争を挟み障害者の数が増え、障害者施設が造られ、1950年代には障害者は施設で暮らせるようになりました。さらに1970年代には障害者は施設から地域で共に暮らすという考え方が出来、「ゆりかごから墓場まで」という福祉の理想が出来ました。

しかし、今のイギリスは移民が増え、仕事を失う人が増え、また優生思想が強まってきているように思います。

 

残念ながら人の心の中には優生思想が存在しています。でも、重度心身障害者とかかわると優生思想が弱まる気がします。人の心には支え合う感情が必要です。重度心身障害者には社会の中で共に暮らすという役割があると思いますが、日本の重度心身障害者はまだまだ施設でしか暮らせないので重度心身障害者への理解は進まないままです。このような状況で人々の心の中にある差別や偏見をどうなくしていけばよいのでしょうか?

 

そのためには、やはり障害者と自然にかかわる機会を増やすこと、インクルーシブ、共生社会の実現が大切だと思います。ただ、今の日本では事件後の政策を見るとセキュリティ強化で防犯カメラを設置し、だれもが施設の中に入れなくするという、、、まるで逆行しています。

 

津久井やまゆり園の事件から3年も経ちましたが、昔とさほど変わっていません。健常者は往々にして重度心身障害者の障害にだけ目が行きがちで、その「人となり」を見ない傾向にあります。まず、人・本人を知れば差別や偏見は生まれないから色んな障害・色んな考え方・色んな生き方を知ることが大切だと思います。

 

「夢を叶える145」ライター宮村孝博
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味、囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため部屋に引き篭もる
1974年10月22日 誕生
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2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
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