自律性を保持することの難しさとその大切さについて考えてみる。

人生は100年足らずで、地球の進行の中では、一瞬の時間に過ぎない。その一瞬の時間の中でも、人間は自分を見つめる時間を余り取らない。自分について考えることが少ないのだ。世界に誰もいなくて、自分だけが存在している状態を想定することは、自分の精神的な拠り所となるだろう。しかし、単に生きてはいけるが他者との交流がない世界は、多くの人にとって想像すらしづらいものだろう。

 

人間は胎児として生まれたのちに、親との関係性を長く持ち、それは、依存性を育む素地となる。生き残るための生活を早々に強いられる動物は、依存関係を早期に断ち切る手段として、親子の間で非情な行動を行う。その結果としての自律性を高めるのだ。
人間は動物とは違い、相互に依存的な関係を尊ぶのは何故だろうか。人間の胎児が他の哺乳類と比べても、未熟な状態で生まれることは確かだが、それ以外に理由は無いのだろうか。

 

狩猟採集時代は、人間が個別の生活を行ったのでは生きていけない場合が多かった。それを補うために人間は集団生活を営むようになった。従って、集団生活は人間の本質的な性質ではなく、生きていくための必要性から生まれたものだった。しかし、近年になってからの文明の発達は、生きていくための集団生活の必要性を低下させている。その所為で、地域や家族はその機能を次第に失っているのだ。

 

人間が文明のお陰で、自分単独で多くの事を処理が出来るにもかかわらず、他者との関係を重視する理由を問題としなければならない。同時に集団生活が人間の一般的な状態だとすれば、何故その様になるのか、その理由を探ることも必要だ。もし他者との交流が、単なる所属欲求とか、便宜を図りたいとの理由であれば、その理由は甚だ貧弱なものだ。他者が必要となるのは、孤独自体が嫌われる存在ではないのか。その他に重要な理由があるかどうかは分からない。日常的な他者との交流は楽しいものであるが、必須のものではないのかもしれない。

 

自律的な生活は自分の行動や思考に対して、自分自身でコントロールを効かせることであり、なおかつ、その結果に対しては自分自身で納得することだ。人間は一人でなく集団で生活をしているので、他者に対する配慮が必要であると言われる(ふれあい、思いやり、支えあい、協調など)。それは当然のことであるが、その前にまず、自分自身の問題を十分考えて自分で理解し、自分で解決方法を決めることが大切だ。その上で、他者との協調はどのようにすればよいのかを考える必要がある。その反対ではない。

 

また、自分を取り巻く社会の慣習は、それが定められた時には合理的なものだったと考えられるが、時代を経て継続すると、社会にも個人にも合わなくなることが多い。その場合も、まず、自分自身にとっての適合性を考え、社会慣習が自分自身の必要性に合わない場合は、どの様に行動すべきかを自分で決める必要がある(自分の意見を通すか、慣習に従うかは自由である)。それが自律的な生活なのである。

 

驚くべきことに、2500年前に、自律的な生活の重要性を説いた人物がいる。ブッダである。ワールポラ・ラーフラ著「ブッダが説いたこと」によると、彼は次のように言っている。

「身体的な問題、精神的な問題、あるいは環境の問題があり、人は不遇な状態に陥る場合がある。その様な時には、単に寄り添って助けるのではなく、自律性を尊重して自律的な生活が出来るように励まし、自律的な生活を助けるための援助を行わなければならない。自律心を持たせなければ、他者に隷属することになるのだ」

 

自律的な生活にとって重要な事は、他者との関係よりも、むしろ慣習や権威との兼ね合いである。自分が所属している社会での階層や地位をそのまま受け入れ、慣習を自明のものとして受け入れる場合は、その境遇から自律的に生活することが出来ない。社会の慣習や権威から抜け出し自律的に生きて、初めて他者との関係を考えることが出来るようになる。


他者との関係は、「自由の相互承認」の問題だ。自律的な生活をしようとすると、自由を必要とし、時として他者との衝突が起きる場合がある。しかし、自律的に生きている者同士の衝突は、相互の自由を認め合うことが出来るのだ。自律的に考える人は、他者も同じように考えていることが分かるので、自分の自由と同じように他者の自由をも認めることが出来る。その結果、自分の自由を制限するか、他者の自由を制限するかの選択が出来るのだ。

 

人間の欲望は、それ自身の素直な情動的欲求より、他者との比較によるか(自分が持っていないものを他人が持っている、自分よりも他人が優遇されているなど)、あるいは、間違った認識から生じるものが多い。自分自身の純粋な欲求に耳を澄ませば、自分が直感的に思うほど、他者と衝突するような欲求は少ないことが分かるだろう。純粋な自分自身の欲求は、食欲、睡眠欲、性欲(子孫を残す欲求)、危険から逃れる欲求など、基本的で単純なものである。そうすると自分か感じている欲求の大部分は、自分自身から自然に発したものではなく、他者との比較や競争から生まれるものであることに、気付く必要がある。

 

ブッダは、自分自身の状態を正確に把握することが大切であり、自分自身の疑問を無くすることこそが、あらゆる束縛から自由になるための要点である、と述べているのだ。

 

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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