ドイツの哲学者であるマルクス・ガブリエルは、次のように言っている。
「現代において私たちが思考する際に用いている概念の多くは、誤りの多い欠陥品で、あちこちに論理的な間違いがある。それは許容できるレベルのものではない。正しい概念を持たずして、現実の問題が何なのかを見て取ることなど不可能だ」と。
誤りだらけの概念を哲学が問い直し、その概念の出来が、なぜ悪いかを示すだけでなく、より良い概念を提案することができるという。つまり、日常的に人が持っている感覚は、必ずしも持ち続けていいものではないのだ。
多くの人は、生まれ育ってから数十年の間に、世界はこのようなものだ、自分はこの様な人間だと言う概念を作り上げている。その様な概念は記述したり他人に表明しないまでも、全員が持っている。この概念はかなり強いものである。家族の影響もあるし、若い時に他人から受ける影響、あるいは書籍もあるだろう。成人になるまでに作り上げられた概念は著しく強いので、大きな力が働くような出来事がない限り、それ自体を感じること(反省すること)は少ない。
何らかの外部からの問題は、自分自身の概念に沿って判断される。概念が及ばない分野(初めて経験し、知識が必要である分野)を除くと、人は自分が概念に沿って判断した考えを疑わない。従って、同じ様な環境に育った人、同じ様な会社に入った場合は、同じ様な概念を持つ。これらを概念の構造と呼んでいる。
問題は、この様な構造から自由になることが出来るかどうかである。何事かが起こり、それを解釈する際に、外部からの現象を自分の世界に中で「自動的に」解釈していないだろうか? いわゆる直感的な解釈を行っていないだろうか? 例えば、会社の秩序を無視して意見を述べる人、皆が応援しているチームを貶す人、多くの日本人が嫌っている国の肩を持つ人、これらに対しての不快感は自然に起こってくるに違いない。これらは、あなたの世界秩序を乱す存在なので、不快なのである。
自分の持っている概念が変わらないとすれば、お互いに議論することが難しくなる。ある問題に対して、個人がそれぞれ自分の強固な概念を基にして判断するなら、概念を共有している人同士は議論が出来るが、概念を共有していない場合は議論が平行線をたどる。多くの議論が建設的に行われず、相手の欠点を正すことに終始するのはこのためである。
果たして、人間は自分の持っている概念、つまり、自分の世界を客観的に見ることが出来るのかどうか、外部からの働きかけによって、概念を変えることが出来るかどうかが問題なのだ。マルクス・ガブリエルの言うように、各自の概念が甚だ不完全なものなら、常に概念は変更されなければならないのだ。
幼少時からの概念形成にとって最も重要な時期は3歳から9歳までの時期と言われる。もちろんその後も、人間関係や読んだ書物、仕事の内容によって概念の変更はあるだろうが、3歳から9歳までの概念形成はその後に比べて格段に大きな影響を持つと考えられる。例えば、民主主義の概念は現代に生きていくことに必要不可欠であるが、果たしてこの基本的な概念が正しく、3歳から9歳の間に教えられているだろうか。もしも、この間に反民主的な教育が行われたら、民主主義は危機に直面するだろう。また、概念形成の時期に、概念の教育ではなくて実用教育(読み書きそろばん)が教育の大半を占めていれば、その国の国民は機能的には能力を向上させるであろう。しかし、社会をどう作るのか、利害が反する時にどうすれば良いのか、国の体制はどうあるべきか、などについては判断出来なくなるかもしれない。
概念についての教育でさらに必要なことは、概念を議論するための手段を提供することだ。概念に対して何も考えない場合は、議論の手がかりがないので、議論を避ける傾向にもある。教育は、実用教育が盛んであり、少しでも良い学校に行くような教育が人気なのだ。一人ひとりの個人単位では、それも仕方がないだろう。けれども今後社会が円滑に、自由、平等、人権、多様性などの理念を基として作られていく場合、最も大切な、それらの概念を植え付ける教育を行うべきだろう。道徳や躾を家庭に任せる時代は、もはや終わったのである。
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