善意の第三者-vol.2

前回のドタバタ劇の余韻がまだ残っているのに、またまた「善意の第三者」が絡む出来事がありました。
今回は、100歳に近いおばあさんの在宅ケアでの出来事です。現在の日本で見られる「在宅ケア」が抱える問題の典型的なお話です。

患者さんは、当院が完成し開院した頃からのお付き合いですので、かれこれ40年近くも通院されていた方でした。幸いにも、大きな病気は見当たらず、まさに枯れていくような歳の取り方で、ここ数年は杖無しでは歩くことが難しくなっていました。


数か月前からはご自宅で寝たり起きたりの生活となり、訪問看護を利用しての在宅ケアが行われていました。

ご自宅は昔からの大きなお屋敷で、山の中腹にあり、広い日本間が3間も繋がっております。その一室にふかふかのお布団で臥せっていらして、見るからにご家族の想いが伝わってきたものです。古い家独特の大きな屋根のお陰で、夏はクーラーが無くても涼しい風が吹き抜け、訪問看護で訪れる看護師さんも、「あのような環境なら、狭い病室に居るより、よっぽど体にも良いし、何より住み慣れたおうちで、ご家族の声も聞こえて良いでしょうね」と報告があったほどでした。

往診をしている先生も、「薬の匂いが漂っている病室に入れられて、硬くなった血管に無理やり針を刺されて水浸しにされるより、数倍も快適で長生きできるだろうね」と仰っていました。

ところが、そんな平穏な最期を迎えようとするおばあさんに、突然の騒動が降って来ようとは、誰も予想してはいませんでした。

 

それは、たまたまその家を訪ねた近所のご婦人の一言で始まりました。


「まあ、なんやの、寝たきりのままで放っておいてええのんか。薄情な家族やなあ」と。これまでの長い治療や療養の経緯は一切知ろうともせず(しかも、自分自身もこうして訪れるのは久しぶりであることは棚に上げて)、己の浅はかな知識(とも言えない、まさに「思い込み」)だけで騒ぎ始めたのでした。

さらに「早う、救急車を呼んで、ちゃんとした病院で診て貰わんと。何にも食べられへんのやったら、点滴をしてもらわんとあかんやないの」と、捲し立てたそうです。
一時は、対応した孫(と言っても既に中年の女性です)が、その勢いに気圧されてか、おばあさんの娘(こちらも70歳くらいとご高齢)を呼ぶことになりました。

 

今回のドタバタ劇では、その娘さんがしっかりとした考えをお持ちだったことと、往診時の医者からは「この期に及んで、様子がおかしいからといって救急車なんかを呼ぶと、何処の病院へ搬送されるか分からんし、行けば行ったで点滴ばっかりされて、苦しませるだけですよ」と、往診の度に繰り返し、しっかり聞かされていたことが幸いしたのでした。

 

「そんなに大きな声を立てんでもええの。ちゃんと先生とも相談して、本人もここがええと言うてるんやから、あれこれ言わんといて」と、娘が、その声高に厄介をしようとするご婦人を一喝したのです。

それでも、そのご婦人は「こんな薄情な家は知らんわ」と、憂さを晴らすように大きな捨てぜりふを置いて帰って行ったということです。もしも救急車を呼んだとしても、このご婦人が後々のお世話には参加されないであろうことは、皆の一致した意見でした。

 

今回のご婦人は、「カリフォルニアドーター※」より質が悪い「近所の赤の他人」とでも呼べば良いのでしょうか。もっとも、こうした近所付き合いは日本の良き文化なのかもしれませんし、「情」に厚いのが日本人の長所だと思いはしますが、問題の内容によってはそろそろ「理」を優先することも学んだ方が良さそうです。


こうした問題も、以前に書いた「死から遠ざけられた日本人」ゆえに起こり得る「ドタバタ劇」のようですが、逆に、一体いつから一億総お医者さん状態になったのだろうかと、改めて不思議に思っています。


こんなお話、まだまだ日本中に転がっていそうですよね。皆さんの周りにも・・・?

ところで、今回のお話は、看取りを前提としたACP(アドバンス・ケア・プランニング)の成功例と言えますが、こうしたお話の方が少ないのが、まだまだ日本の現実のようです。一方で、医師をはじめとする医療者が、こうした考え方や対応の仕方を繰り返し説明することで、無用の医療というか、患者さんへの無用の負担を掛けないで済むことも分かってきたとも言えるのではないでしょうか。

日本中で、こうしたことが拡がれば、救急現場への高齢者の無用な搬送が減り、真に救急処置が必要な患者への医療の集中ができるようになるのではないでしょうか。

※「カリフォルニアドーター」
直訳すると「カリフォルニアに住んでいる娘」といった意味ですが、アメリカの医療界でよく使われる隠語の一つのようです。

アメリカの東海岸と西海岸は時差が存在するほど遠いわけです。東海岸の病院で入院している家族の見舞いに、遠く西海岸のカリフォルニアに住む娘がやって来ます。そして、それまでの治療の経緯や医師からの説明、いつも介護に付き添っている家族の苦労は無視して、一方的に自分の意見を押し付けます。その上で、自己満足的な要求を残したままで、さっさとカリフォルニアに帰ってしまいます。

残された患者さんやご家族、さらに医療関係者も、娘の意見である以上は無視するわけにもいかず、さりとて遠方なのですぐには説明を聞きには来られないということで、全てが混乱の渦と化します。これを、古き良き時代(?)のわが国の表現を借りれば「卓袱台(ちゃぶだい)返し」とでも言うのでしょうか(ご存じない方もありますかね)。

当院では、カリフォルニア程もは遠くなくても、「遠方」、「行く時間がない」といったことで、めったに来ない家族の事をそう呼んでいます。めったに来られないだけに、それだけ(申し訳の無さを感じてか)熱心に持論(付け焼き刃の知識)を展開されるのだろうと、百歩譲って考ました。しかし、これほど無責任な言動は無いという代表格のお話です。

お互いに、気を付けたいものですね。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
岡山県倉敷市出身。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
以来、消化器外科、消化器内視鏡を専門として地域医療に取り組んでいます。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
「臨床外科」(医学書院)にエッセイ「1200字通信」を連載中。
2016年11月15日に短編小説集、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)を上梓しています。
2018年5月9日に「看取り請負人 死なせ屋ゴンがゆく」(ルネッサンス・アイ社)を新たに上梓しました。
日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、日本消化器内視鏡学会指導医、日本大腸肛門病学会指導医、日本消化器病学会専門医、
がん治療認定医、日本医師会産業医、ICD認定医、三重県警察医ほか。
趣味は映画、読書、クルマ。小型船舶1級免許取得。
岡山県倉敷市出身。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
以来、消化器外科、消化器内視鏡を専門として地域医療に取り組んでいます。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
「臨床外科」(医学書院)にエッセイ「1200字通信」を連載中。
2016年11月15日に短編小説集、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)を上梓しています。
2018年5月9日に「看取り請負人 死なせ屋ゴンがゆく」(ルネッサンス・アイ社)を新たに上梓しました。
日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、日本消化器内視鏡学会指導医、日本大腸肛門病学会指導医、日本消化器病学会専門医、
がん治療認定医、日本医師会産業医、ICD認定医、三重県警察医ほか。
趣味は映画、読書、クルマ。小型船舶1級免許取得。
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