最近は少しの不況感を察すると、景気がいい時でさえ直ちに景気対策を求める声が出てくる。ケインズが言ったように、政府が行う経済対策が効率的に行われるのは、ハーベイロードの前提※が必要なのである。
現在のように富の偏在がある場合、つまり、政府が財政赤字の状態で民間(家計と企業)に金余りの状態がある時、通常であれば増税を行い、民間、企業から資金を政府に移すことが行われるべきであろう。しかし、実際には、政府の肥大化は不効率な公共政策を膨らませるだけであるとの反論が多く(一般庶民も増税には常に反対であるが)、増税が実現することは少ない。その結果、MMTなどの政策提案が出てくる。MMT(modern monetary theory)とは、国の予算が乏しい時、そしてデフレ状態を改善したいなら、国は赤字であっても積極的な財政出動を行えばよい、国全体としては民間部門が資金過剰なら、それで辻褄が合うとの考えである。政策を行った結果、インフレになる場合は増税を行えば良いとの考えだ。これも、前述のケインズが述べたハーベイロードの前提が必要であり、果たしてMMTを実行して起こったインフレ時に「政治家」によって、増税が行われるかどうか、疑問が残る。
不況を極端に嫌い、常に財政金融政策で景気を良くする政府の傾向は、人間が苦痛を嫌う事と同じ欲求から起こっている。医学の発達によって、人間は苦痛から逃れることが出来るようになった。完全な麻酔によって行う手術は苦痛が無くなり、手術後も適切な鎮痛剤によって痛みを除去することが出来るようになった。
その結果現代では、その他の苦痛でも人間はそれをいっときも許容しなくなっている。眠れない時には睡眠剤を簡単に服用するし、少し気分が落ち込むと抗うつ剤が必要となる。気温が高くなると、熱中症の予防と称してエアコンに頼る。苦痛は人間にとって、耐えなければならない物ではなく、耐えることは不必要な行動であり、むしろ行ってはならないものとなったのである。
しかし、人間の最も根源的な苦悩は、生老病死、特に死に対する恐れである。死に対する恐怖は、最も実存的視点からのものだ。科学技術の発達と、近代の自由、平等、人権、多様性などの倫理観の発達により、生環境は、特に先進国においては劇的に改善された。この環境で、人間がさらに実存的な問題を考えることなく、ひたすら苦を避けるように、国全体でも同じ様な傾向となる。人間の苦痛を避ける行動と、景気対策を常に行い、不況を避けることは同じ欲求から発しているものである。
一時の苦を逃れ、その先に待っている状態を考えずに現在を優先し、現在の快楽を求め将来には目をつぶる考えが蔓延する。庶民的な感覚からは、それも一つの生き方として容認できるが、倫理的、歴史的な観点からは如何なものだろう。
政治がその場しのぎの政策を続けることは、将来に大きなツケを残すことになる。しかし、人間が老化し、苦しみ、死を迎えることが避けられないとすれば、それを前提にして生きていく必要がある。同様に、どの様な理論を使おうと現在の景気を優先し、将来にツケを先送りする手法は、いつか破綻する。現在の社会は死の問題も政府の負債も同様に、それに目をつむり避けるように動いているのだ。将来を考えずに現在の欲求のみを優先して生きている現代人の傾向は、現在のポピュリズム的な政治の傾向と似通っているのではないだろうか。
※ハーベイ・ロードの前提;ケインズが古典派経済学を打ち破る有効需要理論を生み出したハーベイ・ロードの地は、イギリスの知識階級が集まる場であった。ケインズの政策提案はこれら知識階級の議論の中に生まれており、政策実施は少数の賢人が合理性に基づいて判断するという前提があり、しかもこれらの人々は決して民主主義的な手続きを経て選ばれた人々ではなく、大衆に対して責任をとる必要のない自由な職業の人々であることが重要であった。しかし現実には、民主主義政府において適宜な増税は減税よりも忌避される傾向にあるため、財政政策面でのハーベイロードの前提は失われた(ウェキペディアより)
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