善良なインテリ達-不都合を避ける人々

高齢化社会が進んでくると、幾つもの高齢化現象が絡み合い複雑化することは既に書きました※1。さらに高齢者に対してもがん治療が広く行われるようになり、このことが加わって、より複雑な問題が起ってきています。
※1:「複雑化する高齢化社会」

 この問題には、がん治療に絡んでくる医者の問題もあって、さらに複雑怪奇な様相を呈してきます。そして、インターネットを初めとする情報ネットワークの進歩による知識の共有と言うか、全くの素人であるはずの方々が手軽に専門的知識を得ることができることから、あたかも玄人であるかのような物言いや態度を取る方が出てきています。そうした患者や家族の問題も加わって、時には、滑稽な様相すら呈してきていると言わなければならない程に至っています。

 

70歳代後半の男性が、紹介状を持って来院されました。付き添って来られたのは、紹介状に「キーパースン(key person:物事の運営・進行に大きな影響力を持つ人。ここでは患者さんに関する問題の決定権を握る人物)」と書いてある奥様でした。

 紹介状によると、数年前の初診の時点で、既に肝転移を伴う切除不能大腸がんがあり、ひとまず抗がん剤治療を行ったそうです。その結果、半年後には「根治的切除は無理ではありましたが何とか大腸がんを切除し、さらなる抗がん剤治療の効果の向上が期待できた」と書かれていました。しかしながら、それからしばらくして肺への転移が見つかり、さらに、腰椎から仙骨へかけての骨転移も発見され、身体を動かすと両下肢の痺れと痛みが強くなり、動作が緩慢になっているとのことでした。

 

この時点での問題の一つは、こうした状態に至ってもなお(患者の年齢は別にして)自宅から片道3時間近い時間をかけての通院を続けられて、担当医も「各種の抗がん剤を使い切る(と治療ガイドラインにあります)」ことに力を入れられていた点でした。

 もう一つの問題は、こうした医師の態度に、ご本人や奥様は、辛い上に高価な治療ではあるけれど、勧められる治療を受けることで、いつかは治るといった希望(否、幻想)を抱かれていたことでした。もっとも、「断れば治療を中断される」との勝手な思い込みが、そうさせていたという側面もあったようではあります。残念ながら、患者側の多くがこのような誤解をされているのも事実のようではあります。さらには医者側も、ガイドラインに沿って治療をすれば治せるのではないか、と無批判に信じている医者も少なからずいるのも事実ではあります※2。

 ※2:最後の看取りをしない先生方の中には、担当した患者さんがお亡くなりになる所に立ち会わないことから、「その患者さんがお亡くなりになる」という現実を無視するような言動をされる方があり、無責任とまでは言いませんが、困惑させられています。

 

そうこうするうちに、流石に体を動かすと痛みが強くなったことから、担当医の方から、通院の困難さを理由に「地元の病院への転院の勧め」が行われ、結果として当院を受診される結果になったのでした。当然のことながら、その時点以後の抗がん剤の使用については、これまでの説明とは打って変わって、詳しい説明もないままに「もう、止めましょう」の一言で済まされたそうです。転院の話も今回が初めてで、患者側にしてみると、唐突なものであったようです。

ところで、紹介状には「ご本人とキーパースンの奥様には、現在の病状について詳しく説明してあり、良く理解されていると思います」とありました。抗がん剤を止めたことは形式的に書いてありましたが、本来なら並行して行われるはずの痛みのコントロールなどの緩和ケアについては、一言の説明もなく、患者さんのお話から『なるほど、痛みは放置されていたのか』という感想を持ちました。もっとも、紹介状にどう書いてあろうとも※3、その内容をそのまま鵜のみにするほどこちらも若くはなく、ましてや悠長に対応する時間は残されていないということで、当の患者さんや奥様からお話しを聞くことになります。

※3:
良くあるパターン①
患者さんやご家族は転院を希望されていないにもかかわらず、「貴院でのご診療を強く望んでいらっしゃいますのでよろしくお願い申し上げます」と、押し付けるような紹介があります。

 

良くあるパターン②
患者さんの今後の経過予測(予後)について、「全てお話しして、良く理解いただいています」と書いてあっても、良い事ばかりで、「既に、こちらでは打つ手が無くなったので紹介しますが、近い将来、痛みが増し、何もしなければ苦しんで死ぬことになります」といった患者側が聞きたくない内容は説明してないケースがあります。もっと酷いものでは、患者さんに「次の病院で詳しい説明があると思います」と(紹介状には書いてありませんが)言っていることがあります。

 

良くあるパターン③
もうすることが無くなり瀕死の状態で、経験のある医者が見れば、あと1,2カ月の生命と思われる患者さんに対して、「あと半年か」と勝手な余命を言い渡し、家族に期待を持たせたままに紹介します。紹介された側では、それで1、2カ月で亡くなったら(当然なのですが)家族にどう思われるか・・。皆さんのご想像通りです。もっとも、その前に説明し直しますけどね。

 

 

今回も良くあるパターンの②(+③)で、キーパースンと言われる奥様は、まだまだ夫の病状には余裕があると思っておられるのか、こちらが聞きもしない話をとうとうと声高に話され、いかに自分が夫のために尽くしているかを語ろうとされたのでした。流石に、外来の忙しい最中のことでしたし、「ちょっとよろしいですか」とお断りした上で、「概略は紹介状で分かりましたので、こちらの質問に答える形でご説明頂けませんか」とお願いすることにしました。

それでもなお、こちらのお願いを無視するかのように、「抗がん剤で治療して頂いて落ち着いていますので、腰の筋肉痛を和らげる薬を出していただければ結構です」と返答されました。

ここまで来ると、余程の修行を積んだ方でない限り、何かの緒が切れるものです。
「ちょっと、よろしいですか。あちらの先生からは、病状に付いて説明をして、お二人とも十分に理解されているとあります。これから、紹介状に書かれていることを読みますので、それをご了解されているか確認させてください」と、一方的に宣言したのです。

 

こうなると、患者さんも奥様も「えっ」という顔つきにはなられましたが、往々にして、嫌な現実を突き付けられる不快感を露わにされます。

早速、紹介状を拡げて読み上げます。「既に、がんの進行により肺や肝臓への転移があり、さらには腰椎や仙骨への転移による痛みが強くなっています。抗がん剤も効かなくなってきており、通院する意味がなくなっています。」

 

ここで、ちょっと間を置いて、お二人の顔(というか目)を見ますが、「不都合な事実」を突き付けられた時の常で、目線を合わそうとはされません。それでも、『一応は、聴いてはおられそうだ』と思えたので続けます。

「既に看取りを考慮して、痛みのコントロールをする段階で、緩和ケアを中心とした介護をお願いしたいと存じます」と読み続けました。

 

本来は、相手の気持ちを慮って話すのですが、自分たち(または遺される者)の都合の良い解釈や絵空事だけを信じているかのような物言いには、最期を看取ることになる(であろう)責任上、真実をお話しして、そこから目を逸らさないでいてもらうように説明しなければなりません。もともと(気が弱く、人見知りする自分としては?)、そうしたことは言いたくないのですが、十分なコミュニケーションが取れていないとはいえ、残された時間に制限があることからも、初めが肝心と考えて、真実を単刀直入にお話しすることに至りました(というより、前医の代わりに言わされたという感じです)。

 

実際、「治療」している(つもりの)医者の多くが、ぎりぎりまでご自分の病院に来させておいて、ご自分がしたい治療ができなくなると「地元の先生に紹介するから」と紹介状を持たせます。そうなってからの紹介は体よく放り出すに等しく、最期まで診ない気楽さからか、余り厳しい話をされないのが常のようではあります(よくあるパターン③)。

 本来なら、最期の看取りを考慮し、時間を逆算して今できることを検討し、早い段階で抗がん剤と痛みのコントロール(緩和ケア)を並行して行いながら(これが正しいやり方です)、もっと早い時期に、最終段階で関わるはずの地元の医療機関へ紹介をしておくべきと考えますが、看取りをしない先生方にはその考えさえも及ばない話のようです。

 

今回の患者さんとご家族には、現在の腰痛や足の動きが悪いのは、腰骨や骨盤への転移による痛みであり、決して筋肉痛のような生半可なものではない事を伝えました。足が動かなくなったり下半身麻痺になる危険が目の前に迫ってきており、そうなれば、在宅ケアにせよ入院にせよ、しっかりとした痛み止めが必要になることもお話ししました。その上で、改めて「これまでずっと診て頂いていた先生からは説明がありませんでしたか」との問いかけには、「そんなことは聞いていません」の一点張りで、二人とも、急に静かになられました。

 

こちらとすれば、病状から予想される残り時間の少なさ故に、拙速に真実を告げすぎたかと、未熟な己を責めはしますが、それでもなお、残り時間が少ないのが現実で、上っ面の耳触りの良い絵空事でお茶を濁すわけにはいかないということに他ならないのです。

 

ここで、想うことがあります。所謂、世間的に言うところの「善良なインテリ」といった方々の問題についてであります。今回の患者さんやご家族もそうですが、実は、こうした方の多くは、「自分に都合の良い情報だけを集める知識人」といったことで、私の意見では「取扱い注意の似非(エセ)インテリ」ということになります。傍目には従順な患者さんとご家族に見えてはいても、その実は、全く反対と言うことであり、「何でも分かっていますよ」としたり顔での「知識の受け売り」ほど無様なものはなく、併せて正しい判断の妨げになっているということです。しかしながら、当のご本人たちはインテリを気取ってか、そう思い込んでいるためか、それを訂正するにはかなりの困難が伴う(時には、人格を否定しかねないことにまでなってしまう)わけで、何とも厄介な問題です。

 

もとより、紹介元の医者がきちんと全てを説明し、納得させてくれていたら(それこそがICです)患者さんが余計な知識の詰め込みをする必要もなく、また、こちらがこんな余分な仕事を背負い込む必要はなかっただろうに、ということではあります。繰り返しますが、それだけの説明をしていただける先生の方が少ないという現実があり、今後もその傾向は変わりようが無さそうです。

さて、自分に不都合なことに耳を塞ぐ「善良なインテリ人」達を、情報社会が生んだモンスターと呼んでよいものか、本来の人間が持つ弱さの現れと捉えるか、皆さんはどのように思われますか。今後とも、こうした方々が増えることはあっても減ることはないだろうと思っています。これが私の間違った予想であれば良いのですが…。

 

 

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
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