謝罪文化の行く末

謝罪が氾濫している。マスメディアを使っての謝罪会見やネットでの謝罪文を見ない日は無い。以前はこれ程もは多くなかったように思われる。もちろん謝罪するのは一般人でなく、企業や有名人、政治家などである。
西欧人はあまり謝罪をしないというが、どの世界でも、一般の対人関係では、問題が生じ、当方に非があると思われる場合、まず謝罪を行った後に、説明を行うことが関係を壊さないポイントである。しかし、個人的な謝罪と、現在マスコミで氾濫している謝罪とは少し異なる。謝罪は一つの文化になりつつあると言ってもよいだろう。つまり、特殊なことでなく極めて普通の行為の一つである。社会的慣習としての普通の行為になると、それを行わないのは、行動基準に反すると見なされる。結局、謝罪をするのが当たり前でしなかったらおかしいと思われる。そして、謝罪の後には、再発防止方法を示すことが一般的だ。

 

故や過失は、その原因がはっきりしている場合と、偶然性が高い場合がある。すべての事故や過失に対して、再発防止を示すことは、偶然性に伴う不条理が引き起こしたものを、必然性の土俵(因果関係の中に)に上げることになり、不合理性を生じさせる。

 

例えば、高齢者介護の場合、「見守り」中に転倒を起こさない事が出来ないわけではないが、絶対と言われると、非常に難しいことが分かっている。介護者と高齢者の体がくっついているのであればともかく、2m程度の距離があると、「見守り」中に転倒を防ぐのは難しくなる。従って、転倒の再発予防の切り札は、「歩かせない」ことになるのだ。


同様に誤嚥事故を起こした場合、再発予防の切り札は、「食べさせない」ことになる。色々と工夫をしても、第三者から「その方法で事故が完全に防げるのですか!!」と問われると、ほとんどの場合が完全には防げない。唯一完全に防ぐ方法は、「その行為をやらない」ことである。
これらは、すべての行為に消極性を持ち込む。

 

日本経済が沈滞している原因として、色々なものが取り上げられている。もちろん、金融、財政をはじめとした政治的な失策もあるだろう。あるいは、構造的に、戦後の急成長の反動として、経済の停滞はある程度必然的な現象かもしれない。しかし、経済規模が著しく大きくなった日本などの先進国は、金融や財政政策などが一時的に効果を上げたり、あるいは失敗したりすることはあるだろうが、成長の原動力は、もはやそこには無く、国民の社会的態度が最も大きな要素なのではないかと思う。

 

最近の謝罪文化は、国民の消極性を際立たせ、同時に批判を恐れて企業の積極性をも引き下げる結果になるのではないかと危惧する。企業や団体の中で、個人が自分のやりたいことをやり、成果を出すことが新しい成長の考え方であるとすれば、失敗する毎に関係者に対して謝罪を繰り返す現状からは、新たなチャレンジよりも、無難に行動する方が社会で生きていく要点であるとの考えを、多くの国民が持つようになることが避けられない。

 

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。

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