「死の受容」と「老後資金2000万円」問題とは一見関係が無いようだが、どちらも難題であり、人間はそれから目を逸らす点で共通している。難題とは、医療や介護のように、人間社会に伴う複雑な関係で構成され、答えを求めることが難しいことではない。むしろ、答えは単純で分かっているのに、それを受け入れるのが難しいことを指す。
死は人間にとって一大事であると同時に、深刻に考えるべき問題である。生きている時と同じように意識がある死後の世界(天国や浄土)を設定しない限り、解決が難しい。しかし、現代の科学信仰の世界に生きている人たちにとって、死後の世界を論理的に考えることは不可能である。その結果、意識が消失し、無になる死の問題を考えないようにする。死を考えることは極めて個人的な問題であり、実存的な問題だ。他者がこれを解決できないし、客観的に考えることも不可能である。死を考えて袋小路に陥った人間は、それ以上考える行為を放棄し魂について考え出したり、自分自身の問題から離れて客観的な問題へと進んでいく。例えば、終末期医療や介護の問題や人工臓器の処理の問題、あるいは葬式や墓をどうするかについて考えるのだ。この様に問題を突き詰めることを放棄するのは、人間全般の傾向である。
「老後資金2000万円問題」も、同様である。年金がどの程度必要で、その原資はどこから引き出すかは、過去数十年議論されている問題だ。支払いが多いか少ないか拠出が多いか少ないかで、年金は自動的に決定される。この点が医療や介護など他の社会保障制度と異なるところだ(社会保障に詳しくない経済学者も議論に参加できる)。多額の年金資金を集めれば、年金の受給額が多くなる。出す方は、現役世代であり、もらう方は退職した人たちだ。答えが単純であり、答えが分かっているだけにそれを受け入れることが難しい。例えばトロッコ問題※のように、何もしないと5人死ぬ、手を加えると1人死ぬ場合は、どうするか? と問われると呆然として、答えの前で立ちすくむことと同じようなものだ。年金を支える人が多く払うか(保険料を引き上げる、税金で補填する)、もらう人の年金額を少なくする(マクロ経済スライドを発動する、受給年齢を引き上げるなど)か、どちらかなのである。その他のややこしい医療や介護などのように、効率性とか生産性などの要素はないのだ。どちらにしても痛みを伴うことは確かであり、なお且つ、年金制度を無くしようとは誰も思わないことだ。
難題について考えることを避ける人たちは、その他の難問に対しての思考も放棄する傾向にある。例えば、胎児診断の結果、障害児の可能性がある場合はどうしたらよいのか? 遺伝子診断を行った結果、将来がんになる可能性が非常に高いと言われる場合はどうか? など、ITの発達は、今や、人間の存在自体に大きな変化を促している。また、自衛隊の存在意義はあるのかどうか、それは、軍隊と言えるのかどうかに対して、多くの人はその前で立ち止まる。ハイデッガーによると、この様な態度を「頽落」と呼んでいる。つまり、目の前に現れた難問を考えないで、目を逸らす態度である。
終わりへと関わる存在であることを、人間は常日頃から意識することそのものを避けているので、その為に不安を感じる。人間が意識していないのでなく、意識することそのものを避けている状態が問題だ。この様な事態にもかかわらず、難問を避けて人間は生きて生活している。そして、難問を解決することなく否応なしに死んでいくのだ。
これは丁度、日本政府が膨大な財政赤字を目の前にして、立ちすくみ、財政赤字から目を逸らし、ひたすら目の前にある問題のみを話題にする現状と似ているのかもしれない。政治的ポピュリズムも同様に、将来の問題を考えず、目前の問題をひたすら強調して、物事を分かりやすく説き、賛同者を募る方法である。
宗教は、この様な難題に対する回答のように見えるが、それは、難題を解決しようとしているのでなく、同じように難題から目を逸らすように誘導している可能性が高い。宗教で問題になるのは、生・老・病・死であり、それらを実存的にではなく、超越的な存在(神など)に委ねて救済を求めるのである。それも、自分が目を逸らしていることをストレスと感じさせない様に、むしろ積極的に目を逸らした対象を喜んで迎えるようにしているのだ。
※トロッコ問題 ウィキペディア(Wikipedia)より
線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
そしてA氏が以下の状況に置かれているものとする。
この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?
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