願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ
そのころ、私の病院では、終末期の高齢者を受け入れるため、「地域支援緩和病床」を設け、私はこの病棟の担当医として、認知症高齢者の看取りを重ねていた。
2011年の春のことである。病院からの帰り道、満開の桜のかなた東の空に、扇ノ山(おおぎのせん)が浮かんでいるのに気付いた。夜なのにと不思議に思ったが、それもそのはず、その日は満月、山の頂の雪が月の光に映えているのである。「雪月花」とはこの事かつぶやきながら、西行法師にまつわる話を思い出した。
冒頭の西行の歌は、出家の身として、とりわけ「その日」に死にたいという願いをこめた歌だが、そのとおりの死であったので当時の人々につよい感銘を与えたのである。山折哲雄氏によると、西行はこの願いのために「断食往生死」を遂げたのではないかとされる。確かに、西行は長く高野山で修業し、真言密教の断食往生のことはこころえていたと思われる。
西行は東河内の弘川寺を最期の場所と決め、寺の裏に庵をつくり、まもなく、文治5年の秋、病の床に臥している。もうあまり長くないと知って、年が明けてから、ゆっくりと食を遠ざけ、旧暦の2月15日は満月、お釈迦さまが亡くなった「涅槃の日」、その翌日16日に息を引き取ったとのこと。「全体としてみればそれは自然死であるような穏やかな死であった」と述べておられる。
その歌とその死、あまりに見事な一致に断食往生と考えられたのであろうが、断食往生は字句通り解せば自死である。西行の場合は、死の数年前に詠まれた冒頭の歌がその宗教的意味合いをこえてあまりに美しく、断食による死といわれると私は思わず肯きたくなる。
断食による「自死」の例は歴史的には数多くあったのだろうが、現代では?と問えば、「断食による自死」を主題としたものが小説の中にみられる。佐江衆一の「黄落」である。
木村東吉氏の評論「美しい死のために:佐江衆一『黄落』を検討素材として」によると、小説の主人公キヌは、米寿を前に大腿骨を骨折、続いて認知症を発症、失禁、徘徊、夫の首を絞めるようなことも起こし、身体拘束をうける。これを機に、自ら食を絶ち、医師も栄養剤の処方を控えたとなっている。となればこれは自死というより尊厳死に近い。しかし、自ら食を絶つというキヌの自死への思いが家族介護の関係性の中で生まれたにもかかわらず、その死が家族によって美化されている問題点も指摘されている。
このような文学にみられる美しい「自死」の対極に、自らの意思・食思に関係なく、胃ろうより栄養を注入され、そして、チューブにつながれたまま死を待っている現代の高齢者がいる。 先の記事にてご紹介した岡川裕美子さんの詩「あなたの言葉を」は、本人の思いを言葉にできない胃ろうの高齢者に代わって一人の看護師がその哀しい思いを訴えているのである。
幸いなことに、昨今では、この老人の訴えに応ずる仕組みが出来上がりつつある。認知症高齢者の胃ろうの問題も、医療・介護・福祉従事者、患者本人およびその家族や代理人とのコミュニケーションを通して、皆が共に納得できる合意形成とそれに基づく選択・決定の道筋が示されており、人工栄養の差し控えによる尊厳死も可能となってきている(高齢者の人工的水分・栄養補給などの場合の意思決定プロセスに関するガイドライン 2012年6月)。
断食往生を遂げたとされる西行は、もともと北面の武士であり、出家してからは歌詠の旅に全国を行脚し、晩年には大仏殿再建のため、東国、陸奥への勧進の旅を決行した。それほどの屈強な西行であればこそ、彼は衰弱する自分のなかに「死」の訪れを知り、それを「自然(じねん)」として従ったのではなかったのか。私はそのように考えてみたい。
親鸞の「自然法爾の事」の中でこのように説かれている。 「自然(じねん)」といふは、「自」はおのずからといふ、行者のはからひ(自力による思慮分別)にあらず、「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからいにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾(ほうに)といふ、とある。
西行は親鸞より前の人ではあるが、当時、高野山で広く行われた念仏の影響も受けていたはずである。とすれば、西行は、死に際して願うべきことを自らはからったとは思えない。西行の死は、病なくして断食を決行する行者の「自死」ではなく、たんに高齢・老衰という「自然死」でもなく、病を得た信仰者として、その時をわきまえた「自然(じねん)」の死ではなかったのか、かの歌の美しさはここにある、と私は思う。
西行のように「その時」が分り、「自然」に従えればよいのだが、現代ではここに医療が介入する。問題は認知症高齢者の場合である。「その時」を言い表すことのできない高齢者に代わって「その時」を医療者や介護者が判断できればよいのだが、医療・介護の現場はその判断に苦しんでいる。
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