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人生100年時代の医療-高齢化から老齢化へ

評価5(5件)

「今の医学って凄いですね」
「でも、あれでいいのかなぁ、私なら嫌ですけど・・・」
昨年(2018年)11月に放送されたNHKスペシャル「人生100年時代を生きる」をご覧になった方もあるのではないでしょうか。その第2回目の放送では「命の終わりと向き合うとき」と題して、今、医療の最前線で起きている「事実」を紹介し、国の施策によって起こっている歪みなどが紹介されていました。

巻頭の言葉は、この番組を見た方が思わず発した感想ですが、医療者というだけでなく一般人としても、「やっぱり、そう思いますよね」というのが私の素直な意見でもあります。

番組の中では、既に静かに見送るべき段階で、周りの人が動揺して救急車を呼ぶケースが増えていると紹介されていました。この「周りの人」というのは、「たまにしか来ないで、それまでの経過など無視してあれこれ言いたいことを言う人」ではなく、「ずっと介護してきた人」であり、「最も身近な家族」であることが多いというのが、厳しい現実のようです。いくら繰り返し説明を受けたとはいえ、やはり医学には素人であり、何より「身内」であるからには、「悪い事実」を受け入れたくないと無意識に思うのが当たり前でしょうし、いざとなると「家族の想い」、「情」が冷静な判断を妨げさせることになるのが現実なのだと思わされました。

一方、救急病院は救急病院で、救命救急医の個人的な葛藤はあるものの、最先端の医療技術を駆使して「助ける」ことを最優先に尽力します。「高度救急救命センター」と銘打つように、当然「救命」に努めるのが使命だからです。

で、どうなるかというと、冥土から静かにお迎えが来ている段階の人が、この世に無理やり引き戻され、中には、意識が戻らないままに、のどに管を入れられ人工呼吸器に繋がれたり、心臓は心臓でAEDを使って再起動させられ、揚げ句、高カロリー輸液や経鼻経管栄養、胃瘻(胃瘻については散々書いてきました)まで付けられてしまいます。

「いかに死なせないか」という医学の目的を実践し、さらに生かしていく方法を研究するのがそうした救急救命センターの使命なのですから、期待した結果ではないにせよ、それはそれで致し方ないことだと言わざるを得ません。

懸命な治療の甲斐あって(?)、入院が長期化しそうになる頃、慌てた家族の中で、これまでもお世話をし、これからもずっとお世話をしなければならない方だけが取り残されます。そして、「これからどれくらいこうしたことが続くのか。これから一体いくらお金がかかるのか」という不安に襲われるのですが、その時には既に元に戻る術はなく※「穏やかな最期」も望むべくもない夢物語となっています。

※番組の中では、こうした問題に対して、延命医療を中止することも検討されていることが紹介されていました。「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン~3学会からの提言~」が出され、実際の現場で、人工呼吸器や胃瘻、人工透析を中止するための条件も明示され始めています。

国はこれまで社会保障費の抑制と称して、高齢者の最期を迎える場所を「病院」から「自宅」へと方向転換しようと制度改革を行ってきました。ところが、今になって、現場では看取りをする段階の80歳代や90歳代の方々が、最期の最後、病院に運ばれて高度な(すなわち高額な)延命治療を、しかも長期間受け続ける事態が頻発しているというのです。こうして、最先端の医療設備が整った救急救命センターでは、80歳以上の高齢者が次々と運び込まれベッドを埋め尽くしていきます。

番組では述べられていませんでしたが、こうした現実から、本当に救命処置が必要な生産年齢の患者さんが入る余地が無くなり、時には「たらい回し」という大道芸もどきの事態が起こっています。そして、最先端の医療技術が行われている「建物」を前にして、本来なら救われるべき命、救えたはずの命が失われていくことになってしまうのです。

人命は地球より重いとか(正直、そうは思いませんが)、人の命に軽重はないと言いはしますが(だったら、トリアージは成り立ちません)そろそろ国民一人一人が、こうしたことを自分や家族の事として、真剣に考えなければならないのではないでしょうか。この問題は、番組の中で救急医の声として「本人も家族も死を他人事と思っている日本人が大部分」と紹介されており、救急救命センターで働く先生方も私と同じ気持ちなのだと確信を持ちました。

在宅で看取りをさせようとする制度改革は、国と言いましょうか霞が関のビルの中で、頭の良い人たちが考えた制度のようですが、どうやら世間で言うところの「机上の空論」となってしまった感があります。残念ながらその前段階として、病院以外での介護などのシステム整備が十分になされているとは言えません。国民は国民で、死を受け入れる心構えも準備もできていないまま、まさに財政的な理由だけを根拠として、拙速に実施されたために生じた「歪み」そのものではないでしょうか。

結果として、入院が長期化した高齢者の家族はというと、意識が戻らない、あるいは認知症の症状が出てきた姿を目の当たりにして「こんなはずではなかった」と後悔することになってきています。何より、当のご本人が、(言葉を発せられないけど)そう思っていらっしゃるのではないでしょうか。

番組の後半では、これまでは行われなかった90歳代の患者さんに対しても、医療技術の進歩で人工透析を続けることが可能になったことが紹介されていました。これは、医学の進歩として喜ばしいのでしょうが、透析をして寿命が延びたがために、ある病院では入院患者の9割以上が認知症を発症し、透析を継続するか否かの意思確認ができないままに、しかも身体拘束をしながら透析を続けているという実態が映し出されていました。

誤解を恐れずに言わせて頂くと、こうした現実離れした医療の裏には、家族側や医療者側の色々な想いや思惑があるにせよ、表向きは、いわゆる倫理的な見地から中止できないということになるのでしょうか。現状では、これもまた「歪み」の代表でしょうが、医療費抑制を唱える国の考え方とは、何やら矛盾したことだと言わざるを得ません。それに、素朴な疑問として、こうした透析が今後も続けられるのでしょうか。

ここまで書いてきて、ふと気づきました。これらは、これまでに” Opinions “に述べてきたことの延長線上もしくは並行的な内容に過ぎないのだと。そして、これからは、ここに書いていく表題を「高齢化」から「老齢化」に言い換えた方が良いのかなという感想に至りました。そもそも、「人生100年時代」とう言葉自体、国の政策の一つではないかと疑うことにもなりはしますが、どう生きるかということと同じレベルで、どのように自分らしく終わるかということを考えなくてはならないようです。

番組の終わりに、最期を迎えるにあたっての意思表示をしておくための事前指示書を病院から渡されたご夫婦が紹介されていました。この事前指示書に記入することになり、「人生の最期を考える中での気付きは、今を生きることの大切さ。死に向かって行くよりも、毎日の生活をいかに頑張って生きるかという風に気持ちが切り替わった」と話されていました。人生のエンディングだけではなしに、この番組のエンディングにも相応しい言葉であり、高齢化、老齢化を考える上での発想の転換になるのではないかと思うと共に、少しだけ救われた気持ちにして頂きました。

「必死、すなわち生くるなり」、「死中に活あり」 (映画「武士の一分」より)

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
岡山県倉敷市出身。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
以来、消化器外科、消化器内視鏡を専門として地域医療に取り組んでいます。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
「臨床外科」(医学書院)にエッセイ「1200字通信」を連載中。
2016年11月15日に短編小説集、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)を上梓しています。
2018年5月9日に「看取り請負人 死なせ屋ゴンがゆく」(ルネッサンス・アイ社)を新たに上梓しました。
日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、日本消化器内視鏡学会指導医、日本大腸肛門病学会指導医、日本消化器病学会専門医、
がん治療認定医、日本医師会産業医、ICD認定医、三重県警察医ほか。
趣味は映画、読書、クルマ。小型船舶1級免許取得。
岡山県倉敷市出身。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
以来、消化器外科、消化器内視鏡を専門として地域医療に取り組んでいます。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
「臨床外科」(医学書院)にエッセイ「1200字通信」を連載中。
2016年11月15日に短編小説集、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)を上梓しています。
2018年5月9日に「看取り請負人 死なせ屋ゴンがゆく」(ルネッサンス・アイ社)を新たに上梓しました。
日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、日本消化器内視鏡学会指導医、日本大腸肛門病学会指導医、日本消化器病学会専門医、
がん治療認定医、日本医師会産業医、ICD認定医、三重県警察医ほか。
趣味は映画、読書、クルマ。小型船舶1級免許取得。
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