生物は、生き残るための行動をする。それは、遺伝子が生き残るための条件であり、自然選択によって決定される。その行動とは、食物を獲得すること、子孫を残すために良い配偶者を見つけること、他の外敵から自分を守ること、危険を察知すること等だ。これらの能力を獲得したもののみが、子孫を残し繁栄する。しかし、人間の場合はその自然的行動がなぜか渇望を生み、その為に「不満足」が生じる。そして、物事への執着と、物事の忌避が生じる。これが大きなストレスとなるのだ。
生き残る条件として獲得した性質が、周辺の環境の変化によって、本来望ましい行動だったのが、都合の悪い行動に変化する場合もある。例えば、甘いものを求める自然の行動が、肥満や糖尿病を引き起こす。当初は、単に果物を求める行動だったのかもしれない。また、自分に対する他人の感情を大いに気にするのは、数十人の部族社会で生活するための合理的な知恵だったのかもしれない。しかし、現代では他人を気にしすぎることは、大きなストレスの原因にさえなり得る。
生き残るための大きな能力を獲得した生物は、「自己」を作り上げることによって、従来以上にうまく行動できるようになる。例えば、「自己」が、過去の記憶を多く持つことが出来れば、その記憶に従って行動する方法を工夫出来るようになる。しかし、「自己」は意識の上にあるものでなく、意識が形成したものの頂点に位置するものだ。言葉を変えれば、「自己」は、全体の事がよく分からない組織中枢部と言っても良い。よく出来た組織中枢は、全体を把握しているが「自己」はそうではなく、部分的に気が付いたもののみを把握する。従って、「自己」が行動のすべてを把握しているのでなく、把握している部分はほんの一部である。しかし、感覚的には「自己」はすべてであると感じられる。
人間の行動の大部分は、意識を伴わない行動である。呼吸や心臓の働きは当然として、歩くこと手を上げること等複雑な筋肉の動作に対しては、意識を伴う「自己」はコントロールしていない。それ以上に習慣的な行動は、「自己」意識を伴っていない。しかし人間は過度に自分を意識する。自分の行動を反省したり、見た目を気にしたりと過剰に清潔にしなければと考える。自意識過剰は神経症の大きな要因である。ただし、この様な自意識は環境と敵対的になりやすい。自然に流れていく環境からの災害を受けると、嘆き悲しみ、自分が悲劇の中にいるように思う。不条理を受け入れることが出来ない(環境の変化はランダムで、カオス的である)。自分が成功したのは自分の能力の成果であり、失敗するのは環境の所為(運が悪いため)と考えやすいのだ。
「自己」は悩みを自分自身で作り上げている。すべてものは一定の形に留まらず、常に変化するものだ。そう考える自分も、長い地球の年月の中で一瞬の存在であることに考えが及ぶと、自分が世界の中心ではなく、世界の中の小さな、か細い一員であることに気付く。しかし、実際には、自分の世界を周囲の環境が侵食したように思ってしまう。
従って、「自己」の垣根を取り払い、内なる自分を解消し、外部との垣根を低くする努力が必要である。つまり環境と調和することだ。「自己」の垣根を引き下げるためには、物事を大雑把に見るのでなく、細かい観察や感覚を感じることが大切である。「自己」はそれ自身が存在するものでなく、周囲の環境と一体的に存在し、それは常に変化しているのである。
この意味で、自分探しは結局、自分というものの本質を知りたいと考えても不成功に終わる。要するに、自分と言う本質は探し出すことは出来ない。実存(物事の現実)は本質に先行するのである(サルトルによる)。本質はなかなか見出すことは出来ないし、見付け出そうとする人たちに共通する気質の評価重視、環境の評価軽視が大きな障害となる。
物事の本質は無いかもしれないし、本質を形成するのは物質自体ではなく、物質を感じる自分の心である。すべてのものが本質無き形態を感じることが出来れば、物事には本来的な意味は無く、自分の心が存在を意味づけすることを理解するだろう。従って存在は自分の心が作るとも言えるのだ。
人間の欲望は絶えざる渇望、しかも、それが満足できないために怒り、それらを知らないことによって、大きな苦悩が生じる。しかし、現代の競争社会では欲望を抑制することは不可能であると言う人も多い。そうではなくて社会の目標は、渇望することをひたすら求めるよりも、それらを脇に置いたうえで、平穏な心で生活できる社会を作ることが目標となるのではないだろうか。
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