人間の心にごく自然に生じる物事の考え方を、まず疑ってかかるという「懐疑主義」について書いてみたい。
懐疑主義とは、例えば、「パスタを食べる時には⇒音を立ててはいけない」、「10月になったので⇒衣替えをしなければならない」、「メタボになった⇒食事量を減らさないといけない」、「サービスを向上させる為には⇒お客様の要望を取り入れないといけない」等の、一般的には当然であると思われるような事柄を一旦は疑ってかかること、を指している。
思い込みをギリシャ語で「ドクサ」と言うが、懐疑主義の考えから視ると、多くの人は日常生活の大部分を「ドクサ」に埋もれて暮らしていると思われるのである。
懐疑主義は、何もせずにひたすら疑うことではない。会議などでよく、「その提案は、そもそも根本的に問題だ」と言って、議論の妨害をする人が居るが(いわゆるちゃぶ台返し)、これらの人を懐疑主義者とは言わない。すべての事を疑うけれども、確かなことと、そうでないことを、世の中の常識や誰かが言ったから、あるいは、本に書いているからと言って、無批判に信じ込んでしまう事をやめて、確かな事を探り出す態度が懐疑主義なのである。
デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」と言って、すべての事を疑った後にも、考えている自分が居る事だけは確かであると考えた。この様な態度は、物事についての「ドクサ」を排除して、真実を見つける事に大きな貢献をするのである。
懐疑主義は、実証主義と深い関係がある。なぜなら、疑う場合は確かな事を示してもらわないと、確証が持てないからである。実証するためには、現象を観察するか、一定の条件で現象を作り出して(実験を行うこと)、客観的に示す必要があのだ。
しかし、一方で古代ギリシャのセクストス・エンペイリコスは、「人々が何か物事を探求する場合に、①探求しているものを発見するか、②探求不可能であることに同意するか、③探求を継続するかの内のいずれかである」と述べている。つまり、実証できる事ばかりではないということなのだ。
経験論で著名な、イギリスのヒュームは、「初めて存在するものには、すべて存在の原因がなければならぬということは、哲学で一般的な基本原則となっている」が、「よく調べてみれば、原因の必然性を証明するために、これまで提出されてきた論証の多くは誤っており、こじつけである」。つまり、何か経験的な事実があったとしても、必ずしも因果関係が証明されるわけではない。因果関係を無理やり作って、満足することが多いのだ、と述べている。
懐疑主義は、自然科学の発達に大きな役割を果たして来た。社会の仕組みや、経験などに比べると、自然科学はあくまでも物事を疑い、①新たに仮説をたて、②その仮説を実験や観察によって証明し、③その証明がさらに多くの人によって追証され、確かめられた後に事実となる過程であるからだ。そして、その事実でさえ、後の人が覆すことが数多くあることが分かっている。ひたすら「確かな事を探し求める」姿勢が、自然科学を生み、正確な戦略を練ることが出来るし、個人にとっても人生においても失敗をしない為の前提なのである。つまり、情報を安易に信じるのではなくその根拠を探し求める態度なのだ。この点で、「懐疑主義」は、現代の情報が溢れる時代に、拠り所となる強い拠点を提供できるだろう。
懐疑主義的な感覚を持っていない時には、単純なスローガンに同調してしまう。例えば、経済が回復しないのは、規制改革が徹底しないせいだ、外国人が入ってくると治安が悪くなるとか、個人情報を守ることが大切だ。さらにコミュニティには絆が大切だ、地域に若者が必要だなどである。これらは、一方の視点から見ると、正しいかも知れないが、本当にそうなのか? と考えると必ずしもそうではなく、見方には二面性があることが分かるだろう。単純なスローガンに同調する人が少なくなると、社会はより深く、賢くなるはずである。
仏教は宗教と見なされ、懐疑主義とは無縁のように思われているが、ブッダ(釈迦)は真の懐疑主義者であった。次のように説いている。
「全ての悪の根源は無知であり誤解である。疑問、戸惑い、ためらいがある限り進歩できないのは否定できない事実である。そしてまた物事が理解できず明晰に見えない限り、疑問が残るのは当然である。それゆえに本当に進歩するためには疑問を無くすことが絶対に不可欠である。」と。
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