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コウモリであることはどのようなことか?

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人間相互の不信感、そしてそれを解消するための試みはどうあるべきか? について考える場合に、果たして他人の世界はどのようになっているのか? その謎を解き明かしていきたい。

表題のコウモリの心が人間に理解できるかどうか、について真面目に考えた人物が存在する。トマスネーゲルは、以下のように言っている。人間がコウモリであることはどのようなことかについて理解するためには、コウモリの生活をすることが必要であると考えられるが、そのような生活をしてもコウモリについての認識は到底得られない。なぜなら、コウモリの体験をコウモリがどのように感じているかは、人間には到底知ることが出来ないからである。ただし、どこまでが分かる範囲であるかは、客観的に認識することが出来るかもしれない。問題は、その先の認識できない部分について、「到底認識できない」ことの範囲を明らかにしなくてはならないことである。なぜなら、このような「到底認識できない」ことはコウモリについて述べたのであって、対人間の場合はこの範囲は極めて少ないと考えられる。しかし、問題は到底ではないが「認識できない」部分は依然として存在するのである。人間の場合、他人が自分の事を「なぜ」分かってくれないのかと、不満を述べる場合が多いが、少なからず「認識できない」部分が存在するために、それ自体(分かってくれないこと)は当然のこととして認めなければならない(コウモリより少ないだろうが)。

昔から、他人の心を読みたいと思う気持ちは、コミュニケーションが難しい場合であればあるほど、切実な願いだった。心を読むことは、自分がその人になりきって考えることだとされた。対話はその為の重要な手段であるし、一緒に暮らしてお互いが理解し合えることも必要である。

但し、もっとも重要な点を、以下に記す。

それは、自分が相手の心を知り得ない部分があることを知ることが必要なのである。相手の思考方法は自分とは異なるだろうと思っているが、いざ事に当たる場合は、自分の思考方法で物事を判断する。それは当然のことだ。しかし、自分に対して、他人も同様の思考方法を行っているのである。相互に「お互い知り得ない」ことの存在を認め合うことは、相互の承認あるいは相互の尊厳を守ることに繋がる。他人が日本人以外の外国人の場合や、障害者、あるいは認知症の人である場合も基本的には同じであろう。

アイマスクをつけて、関節を動きにくくして行動し、障害者あるいは高齢者の気持ちを体験する方法がある。障害者や高齢者の気持ちを理解するためには有用である。但し必要なことは、障害者や高齢者の気持ちが「分からない」部分が有るということを理解すべきだろう。
同様に認知症の人と付き合う場合も、言語的コミュニケーションが失われている場合、その動作一つひとつに注目し、認知症の人の思いを推察することが重要となるが、同様に必要なポイントは、認知症になった人の気持ちは分からない部分が有るのだ、それを認識すべきだろう。専門家と言われる人は、時として、これら障害者の気持ちが分かったかのように誤解している。これが一番厄介なことである。 

社会福祉法人敬友会 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。社会福祉法人敬友会 理事長(高齢者住宅研究所 理事長)、特定医療法人自由会 理事長。一般財団法人橋本財団 理事長。2016年6月まで㈱メッセージ(現 ㈱SOMPOケア)代表取締役。
専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。社会福祉法人敬友会 理事長(高齢者住宅研究所 理事長)、特定医療法人自由会 理事長。一般財団法人橋本財団 理事長。2016年6月まで㈱メッセージ(現 ㈱SOMPOケア)代表取締役。
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