教育については、すべての人が何らかの意見を持っている。それは将来起こることではなく、ほとんどの人が過去に経験しているからである。
そして、教育政策に満足しているとは言えないことも共通している。なぜなら自分が理想的な教育を受けていないと思っているからだ。すべての人が大なり小なりの関心を持っているので、教育政策は民意によって影響されがちであると同時に、政治的嗜好によっても左右される点も大きな特徴である。日本においても、1980年代にはじまった「ゆとり教育」は、詰め込み式の教育に対する反省から始まった。しかし、2000年代の初めにOECD生徒の学習到達度調査 (PISA)での順位を落としたことが報道されると大騒ぎとなり、その後数年を経て、2000年代後半から再び「脱ゆとり教育」に戻ったことは周知の通りである。この様に、本来ならば長い視野で決定されるべき教育政策が、世論やある事件によって左右されることが多いのも特徴である。
教育が人間形成や国民の意思決定に大きな役割を持っているのは広く知れ渡っている。歴史的にも、教育によって国民の考えが誘導されることは、近隣の中国や朝鮮半島の状態を見ても明らかである。では、教育の役割に関するポイントはどこにあるのか、デビッド・ラバリーの「教育依存社会アメリカ」を参考に読み解いていこう。
教育の目的は、次の3つの分野に集約される。①民主的平等を目指す(同時に国民の統合を含む) ②社会的効率の向上 ③社会移動を目的とするもの である。それぞれを説明すると次のようになる。
「民主的平等」を目指すための教育とは次のようなものだ。アメリカにおいて、独立後19世紀に入り国の基礎を作るために、多くの国民に民主主義の意義、政治の仕組み、個人の尊重、国家への忠誠などの政治的・倫理的教育を開始した。この様な民主的平等を目指す教育(いわゆるコモンスクール運動)は成功し、教育の重要性が広く認識されたのである。そもそも教育が国家の重要な政策として取り上げられたのは、近世に入ってからである。それまでの貴族や王が統治していた時代から、フランス革命あるいはアメリカ合衆国の独立などを経て、民衆の力が大きくなった後のことである。民衆が主体の国家になると同時に、国作りあるいは国民の統合に教育は大きな役割を果たすようになった。従ってその当時の教育の目的は、民主的平等を目指すものであり、政治的・倫理的な教育だった。日本においても、江戸期には、民衆の間に読み書きそろばんは広まっていたが、明治政府は、それまでの江戸期の政治形態から天皇中心の政治形態に変更し、民衆の権利を守る(一部かも知れないが)ために、教育は重要な役割を果たしたのである。
この様に、民主的平等を目指すことを目的とする教育は、どの国においても概ね成功している。そして先進国でのその内容は、民主主義の確立、個人の尊重、個人と国家との関係、家族と個人の関係などの政治的・倫理的教育である。この場合に習得する内容は、個々の内容に従ったカリキュラムではなくて、文化の習得であった。特に近年民主主義の危機が広まっているが、民主主義の利点のみが取り上げられて、欠点が無視されている状態であり、子供の頃から民主主義の本質を正確に理解させることが教育の最も大切な役割だろう。
しかし、教育の初期の成功によってその後に行われた、「社会的効率」を意図する教育改革は成功したとは言えない。つまり、社会的効率を意図する教育は、本来社会政策が果たすべき役割を教育に担わせたものである。それは、教育が社会的問題を解決するためにその手段として用いられるからである。例えば、産業の脱工業化に伴うスキル(ITの技術など)、グローバリゼーションに対応する考え方、コミュニケーションスキルの向上などの教育は成功しているとは言えない。それとは逆に、将来絶対に使わない領域についての教育、例えば、高等数学、物理学、化学などにつての教育や、最近盛んになった早期の英語教育などは、どの様な意味があるのかについての検討が必要である。産業や社会の変換に対する教育は、社会に入って行うか、あるいは社会的問題として解決すべきだろう。
残念ながら、現実問題として教育の政策的変更を左右しているのは、「社会移動」を目的とするものである。つまり、個人あるいは教育消費者が望む改革である。この様な改革は、社会的問題解決とは相反する場合が多い。なぜなら、社会移動を目的とした改革が望まれる理由は、それが消費者の大きな希望であり、ある意味で単純明快である(知識習得のみを目標としている)。そして消費者である個人は、教育を通して自身の社会的地位を上げるように望むのだ。つまり、少しでも上位の学校に合格して、そこでの教育内容よりもどの学校を卒業するか、あるいはどのような資格を取るかに注目するのである。この様な「社会移動」―つまり社会のより高い地位を目指すこと―を目的とした功利的な教育は、消費者にとっては望ましいが、教育本来の目的とは相反する場合が多い。
教育の効果とその目的を考えると、やはり第一に必要とされるのは、民主的平等をすべての国民が深く理解するための教育である。これは政治的・倫理的な内容を含むものである。特に初等中等教育では「読み書きそろばん」を教える前に、社会がどのように構成されているか、社会人として必要なものは何かということについての教育こそが、教育の本来的な目的であり、同時に、教育の成果が最もよく現れる部分である。例えば、北欧やオランダなどは、就学前教育~初等教育を重視し、「民主主義」「人権」などについて集中的に教育を行っていて、「読み書きそろばん」は後回しになっている。日本においては、「読み書きそろばん」+英語教育などの実用的な教育が就学前から初等教育に多いが、この様な実用的な教育は、年齢が高くなっても十分に間に合うものである。日本を含め世界を見渡すと、現在最も必要なことは、社会にどの様に向き合うかについての基本的態度の習得である。これが欠けると、何によって国民がまとまるのか、その原則が失われて社会的問題が国の根幹を揺さぶるようになる。
政治的倫理的意味を持つ教育が行われないのは、政治的左右の陣営での主張が平行線をたどり、その折衷案としての答えが出せないからだ。政治的・倫理的な教育は、日本では政治的スタンスの違いによって避けられているが、今こそ政治的違いを乗り越えて、何を日本人として教育の中心に据えるかを議論すべきであろう。
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