先進国には2種類ある。一つは長い歴史があり、その延長線上に国家が作られている国々で、ヨーロッパ大陸国家と日本などである。もう一つは新しい国々であり、アメリカを代表とする新大陸の国家で、カナダやオーストラリアなどがある。その意味で、日本が比較されるべき相手は、日ごろよく比較されるアメリカではなく、ヨーロッパ諸国になるのが妥当だろう。
ヨーロッパ諸国の中でも、ドイツ、フランスなどの大陸中央の国と、北欧諸国とは少し性格が異なる。どちらも古い歴史があるが、ドイツやフランスなどがローマの影響を強く受けているのに比べ、北欧諸国はその影響が少ないので、いわゆる「歴史の重荷」からは、やや解放されている。これら北欧諸国を例として、政治経済の形態学(Evolution of Modern States;スヴェン・スタインモ著)を参考に考えてみたい。
北欧諸国は、1990年代には、つらい時代を送った。金利の急上昇と供に、国内経済が悪くなり、それまでの社会民主主義政策とは異なる政策が必要となったのだ(この点で、社会保障が充実した北欧諸国との印象は、現在の実情と大きく異なる)。現在では、北欧諸国は、先進国の共通した大きな問題である「格差」を最もよく乗り越え、且つ、経済成長を遂げている国々として知られている。そこで、北欧諸国の中でも最も大きい、スウェーデンを対象として、日本の進むべき道を考えてみたい。
まず、政治形態については、スウェーデンは比例代表制を採用している。日本では「政権交代」を目指して、小選挙区比例代表制を1993年に採用したが、小選挙区制の弊害が指摘されている。小選挙区制では、その時の「風」によって、政権が大きく交代することが特徴である。その一方でポピュリズムを招くことが指摘されている。その点、比例代表はその都度連立を必要とするが、安定した国民の考えを反映できる方法である(極端な主義に流れない)。ただ、弱点としては少数政党が多くなるので、連立の組み立てが必要となり、政治的に意思決定が速やかになされないことである(しかし、ドイツの例を見ても、果たして政治の空白が国に大きな影響を与えるかどうか疑問であるが)。
社会制度では、高福祉高負担が特徴である。そして、普遍的な社会保障制度が特徴である。普遍主義的社会保障制度は、アメリカで広く行われている選別主義的社会保障制度と異なり、一律に給付が行われるので事務費用が少ない代わりに、予算規模あるいは給付額は多くなる。普遍主義的社会保障制度では、「社会保険」が代表格であり、選別主義的社会保障制度は、「生活保護」がその代表である。日本の場合も社会保険が広く普及しているので、普遍主義的社会保障制度が基本となっているのだが、財政状態の悪化のために選別主義的社会保障制度、つまり、給付や保険料に給与の差異を反映させている。選別主義的社会保障制度では境界をどこに引くかが問題となり、不満が起こりやすく、スウェーデンの様に、普遍主義的社会保障制度を採用することが望ましいが、財政赤字が普遍的制度の採用を妨げている(この二つの考えをもっと国民に理解させるような努力が必要)。
一般に、北欧諸国のような社会保障が充実している国々では、経済成長が低下すると考えられてきた。しかし近年の傾向ではそうでなく、むしろ北欧諸国は良好な経済成長を示している。その中で最も顕著な事は、1990年代の不況を乗り越えた結果として、個人に対する保障と、企業に対する保障とを明確に区別している点である。日本の場合は、不況の場合、企業に雇用助成を行い人員整理や企業倒産を防ぐことが主体となっているが、スウェーデンの場合は個人に対する失業補償が手厚く、企業に対しては、ほとんど保障がなされない点で大きな違いがある。その結果、市場での企業淘汰が進み、強い企業だけが勝ち残る仕組みになっている。この様な政策はアメリカも同様であるが、違いは、失業した個人に対してどの程度手厚く保障するかどうかなのである。さらに最低賃金が一律に高く、それを支払えない生産性の低い企業が無くなる。同様に、貿易の自由化を進めた結果、国内の低生産性の中小企業が淘汰されていった。これらの政策を行う下地として、労使の対等の立場での話し合いの伝統が大きいとされている。
初等教育では、競争の概念は取り入れられず、成績評価は廃止して、協調とグループ学習が取り入れられた。コミュニケーション能力が重視され、認知的能力はさほど重要視されていない。特に、3歳から6歳までの就学前教育が盛んであり、倫理的な教育を重視している。倫理的教育とは、読み書きそろばん式の実技的教育でなく、人権とは何か、民主主義とはどの様なものか、などの教育を中心に据えている。
全体的に言えば、規制や社会政策のプログラムは経済の減退を招かず、総需要を増やして、不確実性を減退させたのである。これらの政策の基本は、「進化論的視点」にある。「進化論的視点」とは何か、それは斬新的な改善であり、あるデザインのもとに大きな変化を目論むのではない。しかし、その視点は常に国民一般の利益にあることが基本である。
そして、変化は常に良い結果を生む訳ではないことを理解し、変化による結果を観察して、反省し、再び良いと思われる政策を取ることが大切である。進化論的視点から見ると、変化は必ずしも良い結果をもたらすとは限らないことを理解し、絶えず改善を進めていく必要があるだろう。
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