複雑化する高齢化社会-高齢化×高齢化

高齢化社会が叫ばれ始めて既に長い歳月が経過し、この「新しい社会」が抱える問題は、どんどん複雑化してきています。ただ単に、病を抱える高齢者が増えるというだけではなく、そうした高齢者が病を抱える別の高齢者(多くの場合伴侶)の介護をしている、という「老老介護」の状況を呈してきています。

そして、そのどちらかが入院という事態にでもなれば、たちまち残された伴侶の介護やお世話をどうするかといった問題が噴出し、このような高齢の両親と離れて暮らす長男や嫁いだ娘を巻き込むことになっていきます。さらには、「お子様たち」と言うと勘違いしがちですが、「お子様たち」もまた、既に高齢者であることが多くなっているのが現実であり、こうして問題は二重三重に複雑化していくことになります。

先日、近くの開業医さんの紹介状を持って来院された70代後半の男性がおられました。

その日の朝から下血(肛門からの出血)があり、近くの医院を受診されたそうですが、それまで、決まったかかりつけ医はなく、その開業医さんも今回が初受診とのことでした。さらに、これまでの様子をお訊きすると、色々と体調は悪かったようで、それなりの病気が有りそうだと感じました。
何故かかりつけ医を持っていらっしゃらなかったは、後ほどわかることになりました。

紹介状には、緊急に大腸の内視鏡検査を行い、上行結腸(大腸の奥の方で、身体の右側にある部分の呼称です)の憩室(腸の壁の弱い所が外に向けて袋状に飛び出したもので、便が入り込み、休憩しているように見えるため、この名がついたようです)からの出血と診断されたとありましたが、他の事は一切記載がなく、「よろしく」とあるだけでした。もっとも、初めて診た患者さんに、緊急内視鏡検査までされたことだけでも、一般的には良心的な診療をして頂いたということではあります。ただ、医学的に考えると「入院が必要」のはずですが、そうしたややこしい説明は一切なかったようです。病院へ送れば済むお医者様と、入院して頂き日夜診療に当たらなければならない医者との違いということのようでした(それでも、紹介して頂けて有り難いのですが)。

さて、紹介状だけで今回の病状に対する「診断」は付いており、純医学的には入院が必要となる訳で、早速その説明を始めたところ、即座に「入院はできません」とのご返事でした(それだから、紹介状に書いてなかったのかな?)。

「ですが、さらに出血すると危険な状態になりますよ」と言う私に、
「それは分かるのですが、家内が認知症でして」と、すまなそうに首を竦められます。
「二人暮らしでして、私が面倒をみています。放ってはおけないもので。」
「これまでも、家内のことに忙しくて、自分のことは後回しになっていたものですから」と続けられました。
「成程。それでかかりつけ医はなかったのだ」と分かったことではありましたが、さて、どうしたものか。
「お子様は」と尋ねる私に、
「嫁いだ娘がいますが、そちらでも介護の必要な親御さんがいまして・・・。」
こうなると、返す言葉がなくなりますが、仕方なく、
「そうですか。大変ですね」
「でも、今はあなたの身体が大切です。場合によっては命にかかわってくるかもしれないのですから、娘さんとご相談して頂けませんか」と申し上げるしかありませんでした。
結局、その日は、身体に負担にならない検査を行った後、止血剤入りの点滴をしてお帰り頂きました。
「また下血が起こったり、気分が悪くなったら来てください」と念を押して、看護師さんにも、「連絡があれば、当直の先生に連絡して、必ず診てもらうこと」と確認したのでした。

次の日、午前の外来が始まって早々に、この患者さんと娘さんと思しき方が入って来られ、「先生、入院をお願いします」と、大きなカバンと一緒に椅子に座られました。
「これが娘ですが、無理を言って家内の世話を頼みました」と、隣の椅子に腰掛けられた娘さんを紹介いただきました。
「これも、嫁ぎ先で旦那の親の世話をしているので、できるだけ早く帰らせて下さいね」と、入院を決める場で帰る算段をおっしゃられましたところ、娘さんが
「もう、お父さん。大丈夫だって言ったでしょ。あちらはあちらで、お義姉さんに頼んできたから」と、私の方へ向き直ると、
「先生、大丈夫ですから、しっかり治してやって下さい」と。

アチラでも高齢化の問題があり、コチラと絡み合いが始まってしまったのかと複雑な心境になりつつも、親を想う娘さんの心根にほっこりさせられた一幕でした。

患者さんは、入院後順調な経過をたどり、予定通りに退院されました。それでも、その「予定」は医者が考える予定であって、「調子は良くなったのですが」と、部屋を訪れる度に退院を迫る患者さんの予定とはギャップがありました。

最終的に行いたい検査の内、外来でも可能なものはできるだけ後回しにするからと、なんとかなだめすかして、それでも病気の治療は端折る訳にもいかず、やっとの思いで折り合いをつけての退院となりました。ただ、治療する側としても歯がゆいことではありました。悪性の疾患ではなかったことが幸いでしたが、採血検査でメタボ関連の疾患が見付かり、奥様のお世話だけでなく、これからは、ご自分の健康管理もお願いしたことでした。

「これで、いったん退院して頂きます。下血は、大腸憩室からの出血と考えられますが、基本的に良性の病気ですので、このまま外来で経過を観ることに致します。」
「有難うございました。娘には世話を掛けましたが、先生のお陰で身体が楽になりました」とは、偽らざるご感想だったようです。

下血が起った時の深刻な表情とは打って変わった晴れやかな表情に、私も安心いたしました。
「これからは、ご自分の身体も大切にしてくださいよ。でなければ、奥様のお世話もできなくなりますからね。」
「それに」と言いかけましたが、そこまでで話を切り上げて、退院して頂きました。

言いかけたのは、「娘さんや嫁ぎ先のご家族にも迷惑をかけることになりますからね」でしたが、これは言わぬが花。彼には解けない問題でもあり、かえって心を乱し、ことを複雑化させるだけだろうと、言葉を飲み込んだ次第です。

しかしながら、現実は、こうしたことを飲み込んでいるだけでは、こちらの腹が膨れるばかりで何の解決にもならないことは明らかなのです。

さて、この問題、単純計算では答えは出ないようですが、これからどんどん増えていきそうで心配しています。どこかにすっきりと解決策が出てくる連立方程式でも転がっていないでしょうかね。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
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